曼珠沙華


当時24歳の高群逸枝の四国遍路は一人旅ではなかった。当時73歳の伊藤宮次という老人に半ば庇護されての旅だった。まるで宮次翁に弘法大師が乗り移っての「同行二人(どうぎょうににん)」のようだった。宮次翁の話を聞きたい、と思ったほどだった。


娘巡礼記 (岩波文庫)

娘巡礼記 (岩波文庫)


『娘巡礼記』には花はほとんど登場しないが、彼岸花として知られる曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は三度も登場する。曼珠沙華の他に登場する花は、百合の花(108頁)、嫁菜の花(188頁)、萩花や紫苑(249頁)の四種だけである。一度目と二度目は『娘巡礼記』におけるクライマックスではないかと思われる、高群が「事件」と呼んだ、宮次翁が彼女の前から忽然と姿を消した出来事の直後である。結局四日後に宮次翁は戻って来るのだが、その間、高群は観念的な孤独感ではなく、実際に孤立した状況のなかで実は最も死に接近し、最も自由に思考したように思われる。その直後に曼珠沙華が登場する。

 私は一人庭に下りた。そこには、小さな箱庭が作ってあったり曼珠沙華が咲いていたり、秋は一切に充ち満ちている。吐息して深く考えた。
 世に哀しき人寂しき人の優しい聖(きよ)い伴侶となる事が私の生涯の使命ではないか……。(215頁)

 近頃は近所の子供がよくなづいて来出した。私はこれらの可憐な人たちといっしょに附近の丘へ曼珠沙華を摘みにいく。いつの間にか子供らの女王になされてしまった。(217頁)


三度目は戻って来た宮次翁と同行を再開して、太龍寺鶴林寺を巡拝した後の場面である。

 鶴林寺の山を下りた時には日もどうやら晩(おそ)いようでもあるし、大分疲れたので村の人たちに宿を聞くとすぐこそに善根宿があると教えられ曼珠沙華に埋もった草径を踏みわけて或農家を訪れた。そこには親切そうなお爺さんがいて声を低くしながら、…(224頁)



曼珠沙華ヒガンバナ(彼岸花, Red spider lily, Lycoris radiata


曼珠沙華」という名前は天界に咲く花という意味のサンスクリット語 ‘manjusaka’ に由来し、めでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくるという説もあるようだが、実際に、秋の彼岸に合わせるかのように短い間だけ開花する。


『娘巡礼記』にはまったく関係ないかもしれないが、かつて山口百恵が「マンジューシャカ、マンジューシャカ」と恋する女の罪を歌った『曼珠沙華』(1978年)という阿木曜子作詩、宇崎竜童作曲の歌があったのを思い出す。曼珠沙華を「マンジューシャカ」と読ませたのは、サンスクリット語の発音に忠実だったわけだ。




参照