現代の風俗嬢:遊女の系譜3

かつてどんな男や女がしでかしたことも、これからしでかすであろうことも、私にとって無関係ではないと思う私は変か(三上勝生


この時代、色んな人たちが、それぞれの生活の現場からナイーブにあるいは気取って情報発信するようになって、ちょっと愉快だ。だけど、まだまだ、ごく限られた人たちしか語ったり、呟いたりしていないことが残念でならない。もっともっと多くの語るべき呟くべきものを抱えている人たちが本気で語り、何気なく呟くようになってほしいと切に願う。私にはその肩代わりをしているような気分がちょっとあったりもする。それでも、昔ながらのプロの書き手が書くようなものよりも、よっぽど面白い話があちらこちらに無造作に投じられている。それらをひょいひょいと掬い上げるように読んでいるだけで、現代において書かれるべき小説のネタは十分に集められる、そんな気さえしてくる。最近、とくに面白いなと感じたのは、「遊女」関連でいろいろと調べていて遭遇した「ぴらぴら金魚」で知ったある意味で「現代の遊女」とも言うべき「吉原勤め」するntakamuraさんの「仕事、メディシン、ろっけんろー」と「七人の現役・元風俗嬢が仕事や日常を書き綴る」と銘打たれた「風俗嬢ダイアリー」である。中には、正に「遊女の真実」である「嘘の奥に誠あり」の感に堪えないものがある。例えば、後者の山口みずかさんの「こないだのセックス」と題した「私の仕事を知らない男とするときに注意すること」の五か条の具体性には大受けしつつもどこか寂しく感じたことについてちょっと書いておきたくなってしまった。俺が彼女の仕事を知らない男だったとしたら、と想像したが、自分の仕事を男に知らせないことを強いる大状況の不条理さに思い至った。知らせてみて、男の反応を見てその男の程度を判断すればいいじゃない、とは不条理な大状況が強いる不幸を知らない者の寝言にすぎない、と彼女なら言うだろう。貴方は結局、幸せな男なのよ、と。そうかもしれない。でも、それって、結局続かないと思うよ。続かなくてもイイ、と彼女はヘレン・メリルなんか聴きながら覚悟しているのかも知れないが、、。そんなふうに、この時代の紛れもないひとつの現実あるいは原創作のようなものに触れられることは愉快だが、しかし、そのあたりの免疫のない者にとっては、どーなんだろー? と思ったりもする。