時間をまとう


デザインの風景

デザインの風景


廃墟の瓦礫のなかを無心に歩きつづけ、目にとまった人工物の破片をひょいと取り上げて、それを矯めつ眇めつして、物思いに耽る。そんな行為を繰り返しながら、何かを待つ。その何かはとりあえず「未来」とでも呼んでおこう。だが、未来についてわたしたちは何も知ることはできない。過去についてならなにほどか知っているし、その気になれば、よりよく知ることもできる。歴史は文字通りには繰り返さないが、過去と全く無関係な事は未来に起こりえない。だから、過去をよく知ること。本書からはそんなメッセージが押し付けがましくなく伝わってくる。少なくとも私にとって本書を読むことは、デザインについて勉強するとか、知識や情報を得るとかいうことではない。本書には目覚めてからの今日一日をどう過ごすか、一瞬一瞬にどう向き合うか、というほとんど無意識といってもいい部分に作用して、自分には見えにくい自分の姿を顕在化してくれるようなヒントに溢れていると思う。例えば、ファッションを話題にした最終章のあるくだりに「時間をまとう楽しみ」という表現が出てくる。著者が意図したファッションの文脈を超えて、「時間をまとう」という句が、人生というか生き方の根源的な文脈に落ちていくのを強く感じ、腑に落ちるということが起こる。ちゃんと時間をまとうような生き方をしたい。そう思ったりする。そしてその「時間」は「記憶」とはどこがどう違うのだろうかと考えはじめたりする。永原康史さんには『デザイン・ウィズ・コンピュータ』(MdN、1999年)、『日本語のデザイン』(美術出版社、2002年)と断続的にお世話になっている。



日本語のデザイン (新デザインガイド)

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