ベリンジャーの思い出


スーパーの酒売り場で安ワインを物色していたら、ベリンジャーのラベルが目にとまり、一昔前の滞米中の夢のような一日の記憶が電光石火のごとく蘇った。2004年の晩秋のある日のこと、研究所で親しくなったTさんと彼のガールフレンドNさんの粋な計らいでナパ・バレーのワイナリー巡りに参加することになった。巡ったワイナリーの中で一番気に入ったのがベリンジャーだったのだ。当時日本の友人、知人たちに不定期でメール配信していた「カリフォルニア通信」と題した24号まで続いたレポートのデータを「ベリンジャー」で検索してみたら、その日のことが20号(全10章から成る)の第7章に書かれていた。赤字がベリンジャー関連の記述である。

ナパ・ツアー

日本で長年勤めた企業を辞めて単身サンフランシスコでホーム・ステイしながら、英語学校に通うNさん(Tさんのガールフレンド)の発案によるナパ・バレーのワイナリー巡りに誘われました。結局Tさんが色々調べて計画を練り予約を入れたりしたそうで、彼からある日以下のような計画が書かれたメールが届きました。決行日は11月27日、土曜日。しかも雨天決行でした。

7:00 Start from Palo Alto
8:00 Pick up Friends at SF
10:00 - 10:30 *Beringer (早いもの勝ちのツアーがある)
11:30 - 13:00 Bouchon (Lunch。予約済。4人で予約してるが大丈夫か?)
(ここで、時間があればOpusOneのぞく)
13:45 - 15:00 *Mondavi Tour (予約済)
15:15 - 15:45 *OpusOne
16:00 - 16:30 *Coppola
(*:winery)

メンバーは、Tさん(運転手)、同じ研究所仲間のUさん(ナビゲーター)、Nさん、NさんのルームメートのIさん、そして僕、の5人でした。最初誘われたときは、いくつかの理由から断ったのですが、そんなことは言わずに是非つき合ってくださいと何度も誘われた挙げ句、同行することにしたのでした。春に西シエラ旅行の帰りに立ち寄ったソノマ・バレーでは午後5時を過ぎていてワイナリー見学も出来なかったという、ちょっと口惜しい経験もあり、また一度は実際のワイナリーを見ておきたいという気持ちも次第に強くなったからでした。ところが、計画は僕にとってはかなりハードなものでした。朝7時に研究所で待ち合わせでしたから、遅くとも6時には起床しなければ間に合わない。まるで小学校時代の遠足のようなスケジュールだなと苦笑したのでした。

当日朝6時、目覚まし時計の力を借りてなんとか起床しました。外はまだ暗く、しかも雨でした。しかし雨天決行という条件でしたから、寝ぼけた頭と重たい体にむち打って、身支度をしていると、Tさんから電話が入り、親切なことに車で拾ってくれることになりました。予定通り、7時に研究所前の駐車場でUさんを拾い、Tさんの運転でサンフランシスコへ向かいました。途中、パロアルトのダウンタウンにある、ノアズ・ベーグルというニューヨーク本店の、かなり人気のあるベーグル屋で、軽い朝食をとりました。フリーウェイ280は空いていて予定の8時にはNさんとIさんをホームステイ先の家の前で拾うことができました。

Iさんとはその日が初対面でしたが、実は、1週間前の19日にはTさんのアパートで、ワインパーティーが強行され、その席ですでにNさんとは会っていて、明るく気さくな彼女とは、すっかり酒飲み友達のようになっていました。強行されたというのは、酒を飲まないTさんが料理用にと高いワインを買ったのを聞きつけた同じ研究所仲間のYさんが、それはもったいないから、皆で味わいましょうと提案したことから実現したパーティーだったからです。そのパーティーには普段から付き合いの多い、Uさん、ノルウエーからやって来た同じ研究所仲間のLさん、そして僕も誘われ、計6人でワイン4本、長崎出身のNさん持参の九州の焼酎1本と灘の日本酒1本が飲み干されたのでした。Lさんがいたこともあって、またNさんが英語習得に燃えていたこともあって、そのパーティーでは会話はすべて英語でしたが、その時に、すっかり酔っぱらったNさんと僕が、「immoral(不道徳)」とは何かをめぐって、「大激論」を交わしたらしいのですが、二人ともほとんど覚えていないという有様でした。

サンフランシスコからナパ・バレーまで、予想以上に時間がかかり、最初のワイナリー、ベリンジャーに着いたのは10時30分すぎでした。そこでは、早速4品種、3ランク、合計12種類のワインを皆でテイスティングしました。ランクはだいたい、30、50,100ドルです。僕を含めて皆さんあまりワインに深いこだわりはないのですが、皆でこれは渋みが強すぎるだの、甘すぎるだの、何何の香りがするだの、好き勝手な感想を述べ合いながら、テイスティングを楽しんだのでした。普段はとても手が出せないような高価なワインの味見もできて幸せでした。

ブーションというなかなか良いフレンチ・レストランでは、グラスワインを3種類、Nさんはラムを、Iさんはチキン、Uさんはステーキ、Tさんはムール貝、僕はサーモンを注文し、こっそりとシェアして食べました。後で、僕の注文したサーモンが一番美味しかった、特にそのソースは絶品だったと皆さんの評価が一致したのでした。数種類の産地を明記した新鮮そうな牡蠣が見えるところに置いてあり、最後の最後まで注文しようか迷いましたが、結局牡蠣は危険だという意見が多く、諦めたのでした。

完全に観光スポット化した印象のモンダヴィでは予約してあった1時間くらいのワイナリー見学ツアーに参加して、ナパ・バレーの歴史、モンダヴィの歴史とモンダヴィ・ワインの特徴などについて案内係のお姉さんの詳しい説明付きで、最後に3種類のワインを味見することができました。オーパス・ワンは場所が分からず、結局最後はコッポラに立ち寄って、3品種、3ランク、計9種類のワインを味見し、ナパ・ワイナリー巡りの旅を締めくくったのでした。そこはコッポラの映画博物館も兼ね、大きな売店もあり、その日訪れた中では最も豪華な雰囲気のワイナリーでした。しかし僕は最初に訪れた小規模だけど手入れの行き届いた感じのするベリンジャーが一番好きでした。

今回のツアーでは、何よりも、そもそもワイナリーという場所が、葡萄という植物の生育に完全に依存した、自然に対する人間の謙虚な姿勢の上に成り立っているので、葡萄畑を中心とするその空間に一歩足を踏み入れると、そこに流れるゆったりとして深く複雑な時の流れが自分の中にも浸透してきて、そこにいるだけで、なんとなく豊かな気分になれたことが一番の収穫でした。

帰途、バークレーテレグラフ・アベニューに立ち寄って、夕食のための適当なお店を探すことになりました。結局、質素で家庭的な雰囲気の韓国料理店に決めました。そこで肉野菜炒めや豆腐チゲ鍋など5品料理を注文し、皆でシェアして食べました。美味かった。

Nさんはその週末には3週間の英語学校が終了して帰国する予定でしたが、その後はホノルル・マラソンに出場するためにハワイに飛ぶのだそうでした。Iさんは日本の橋梁設計の企業に勤務しているのですが、長期休暇をとって、単身渡米し、Nさんと同じ家にホームステイし、Nさんとは別の英語学校に通いながら、今後の人生について色々と考えているようでした。二人とも、気持ちが前向きで、いつまでも話していたいほどでした。

 「カリフォルニア通信20」(2005年1月6日)より


今頃、皆、どうしていることやら、、。