『プロセス・アイ』を読みながらネット体験の意味を考える

ネットに向き合っているときに私の中で起こっていることは、読書に夢中になっているときに起こっていることと同じようなものだとふと思った。傍から見ても、パソコンに向かっている私と本を読んでいる私は、同じように、心ここにあらずの状態で、家人には現実離れしていて、地に足がついていない、と映るらしい。確かに、心は「ここ」にはなく、「むこう」にある。
今日買ったばかりの茂木健一郎著『プロセス・アイ』を読み始めた私の心は、瞬時にタケシとともに北アフリカチュニジアに飛んでいるし、ブラウザを立ち上げた瞬間に私の心は「むこう」に飛んでいる。
しかし、正確には、ネット体験と比較すべきなのは、一冊の本を読む体験ではなく、そもそもこの現実世界で本を探し出したり、本に出会ったりする体験のほうだ。
だから、ネットに向き合っている私の中で起こっていることは、現実世界に向き合っている私の中で起こっていることと基本的には変わらない、と言い切ってしまったときにやはり生じる違和感の正体は何か、まだはっきりとは分からない。少なくとも「身体性」などではない。私が理解した限り、脳科学はそれを否定している。
逆に、現実世界で本を読む体験に相当するネット世界の読書体験が今後どのようなものになるかは、グーグル等の世界図書館化計画の進展と受容の具合によるところが大きいだろう。この点に関しては梅田さんが紹介していたbookscannerさんによる「本の電子化」をめぐるリアルタイムな報告に注目していきたい。
『bookscannerの日記』http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/
(家人からはいつも「へそ曲がり」と揶揄されつづけている私の「空想」では、現実の読書体験の「焼き直し」のようなネットの読書体験なら「つまらない」ので、何かいい意味でもっと「変な」体験がネット特有の読書体験になってほしい。もしかしたら、すでに私がネットで体験していることの中にその萌芽があるのかもしれない。ただそれをそうと認識できていないだけで。)
私が面白いと感じているのは、現実世界の中に存在する私にとって、私自身を含めた現実世界を知る手だてとして、従来の現実世界での体験にネット世界での体験が加わったという事実である。ただし、前者の体験の意味も後者の体験の意味もまだ解明されていない。(私たちは「知る」以前に始まってしまった生の途上で存在しはじめた「世界」と「私」を後から何とか知ろうとしている段階にある。)その両者の体験の関係をどうとらえるか、そしてそれは今後どのように変化していくのかという問題は、一昨日触れたSecond Lifeのようなメタバース(metaverse)、マルチバース(multiverse)の思想との関わりにおいても、大変興味深い問題だと思う。