奄美大島での四日間は、一昨年の一年間のアメリカ生活に匹敵すると思い始めている。と同時にちゃんと整理できていないアメリカ体験を本格的に追体験する準備が、二年たってようやく整いつつあるような気がし始めている。不思議なことだ。
グーグルがインターネットの「あちら側」で着々、粛々と進める「世界戦略」の意図をいち早く見抜き、グーグルが2009年には実現すると予告している「新世界」の実相を、すでに個人の力で、2006年に実現し、日々体験している美崎薫さんの仕事を知るまで、私はいわば無自覚に、それに似たことをぼちぼちとやっていたことを思い出した。
一昨年の一年間のアメリカ、カリフォルニア、スタンフォードでの生活中、やっぱり私は毎日デジタルカメラを持ち歩き、盲滅法にシャッターを切り続け、毎日、手帳、あのモールスキンの手帳に日記を書き、毎日それらを材料に、日本の知人たちに、非常識に長い電子メール(「カリフォルニア通信」)を計25回にわたって、送信したのだった。
正直に言って、その頃比較的身近にいたグーグル関係の研究者たちの研究を私は馬鹿にしていた。世界中から集まり、「検索エンジン」の高度化に寄与するという文脈における、それなりに興味深い研究と開発であったが、それらに安易に哲学用語がキャッチフレーズ風に冠せられている鈍感さに辟易したのがきっかけにもなり、ついにスタンフォード滞在中には「検索エンジン」の凄さを理解することはなかった。
私は、あのスピノザの国オランダから毎年スタンフォードにやってくる超一流のロジッシャン(論理学者)ファン・ベンタムの純理論的な探究の瑞々しいスタイルに感心したり、彼の地での多様な文芸の活動とそれを支える豊かな土壌を羨望したり、身近にいっぱいたヒスパニックの人たちと積極的に交流しようとしたり、アメリカ先住民の土地を旅したりすることの方に、圧倒的な価値を置いていた。
そして、その頃の私は、日々直面する現実の圧倒的な情報量の多さを前に、とにかくそれを外部に吐き出すように、記録する、そうしなければ、動けなくなるような強迫観念にかられていて、その膨大な記録を、想起や発想のための資源として活用するなどということは思いもよらなかった。
美崎さんの仕事を知ることが無ければ、今の私はない。そして、そうなった経緯を振り返ると、初発には梅田望夫さんの『ウェブ進化論』との出会い、ブログへの本格的な取り組み、中山さんやbookscannerさんとのブログ交流、という風に、基本的にインターネットの恩恵としか言いようの無い自分自身の背景が浮かび上がる。
ところで、梅田さんが、あれだけ分かりやすく、グーグルがやっていることの見取り図を知らせてくれたにも関わらず、日本国内のマスメディアの報道は、相変わらず、皮相なビジネス情報か、ネットの「こちら側」での話題に終始していることに、愕然とせざるをえない。bookscannerさんがマニアックに、しかしそうすることでしか見えて来ない、グーグルやアマゾンの「世界戦略」の意図を、細部から緻密にあぶり出そうとしている、その素晴らしい内容の仕事もまた、いずれ本になり、書店に並ぶような予感はするけれど、でもやっぱり『ウェブ進化論』の核心部分がマスメディアにはほとんどとりあげられないのと同じ運命を辿るのではないかと危惧する。
他方で、本質的によい仕事は、リアル世界でもネット上でも、「奄美群島」のようにしか存在しえないのか、と思ったりもする。