脳とインターネット

『横浜逍遥亭」の亭主中山さんから薦められていた、アエラ(2006.8.7)掲載の茂木健一郎さんと梅田望夫さんによる対談「脳とネットは共に進化する」をやっと読むことができました。

これは、面白すぎ!もっと早く読んでいれば、すでに書いたいくつかのエントリーは全く別のものになっていたにちがいありません。書かなかったかもしれない。私が拙い言葉でさぐりさぐり書いていたことが、ズバッ、ズバッ、と明快に語られている。

対談の内容とは別にかなり気になったのは、対談の様子やお二人の個性を伝えるために非常に効果的に使われている四葉の写真でした。その中でも特にランボーのように頬杖ついている茂木さんの頭髪が、いつになく、いつも以上に、素敵に「爆発」しているような強い印象を受けました。脳が非常に活発に活動して静電気が発生していたのかな?(ありえない。)Bill CheswickによるInternet Mapping Projectのイメージも連想しました。実は編集サイドの意図的なイメージ戦略の一環かな?

対談の中で一番面白かったのは、やはり中山さんが教えてくださったように、茂木さんがネットと脳の共通性としてとりあげる「偶有性」、具体的にはノイズであり、スパムであるようないわば「負の存在」をいかにして創造性やコミュニケーションに有効に繋げるか、作用させられるか、その仕組みの謎に言及しているところです。

いまのところ、スパムはスパムでしかない。本当にノイズでしかないんだけど、これが有効なものに変わっていくようなことが起こったとき、本当の意味でネットは脳に近づいていく。だからいいスパムが現れたときが、ウェブ3.0なのかなと。脳のスパムはいいスパムなんですね。
脳の構造上の特徴と、ノイズを有効に生かすことがどう結びついているかは、もう何億年という進化のなかで出てきたわけだけど、それとまったく同型のことが人間が作り上げた「地球村」のなかで起こりはじめている。つまり脳とインターネットの共進化がこれから間違いなく起こっちゃう。それは若干の畏怖も含めて、とてつもないことだなと。(茂木)

この点を、生物進化の観点から照射する大胆な連想も非常に編集的で面白く、示唆深い。

ネットの負の部分を乗り越えていかないと(梅田)
酸素だって地球に出たときは猛毒だった。毒性を克服して薬にしていくのが生物の進化のトレンドです(茂木)

そしてさらに実感とともにもっとも共感できたのは、ネット体験のクオリア(?)についての茂木さんの言葉でした。

ネットをやっていてふと気づくと全然違うところに行っていたことないですか。別なことを思いついちゃうんですね。検索の途中で。検索しながら何かしているときって、脳の中で記憶と編集のダイナミクスが加速している気がする。
脳とインターネットがそれぞれ持つ偶有性が加速し合っている感じがある。従来の受け身的メディアとは、脳の働かせ方が明らかに違いますね。

他にも、ビジネスモデルとしての「大学」やジャンルとしての「ゲーム」の終焉について、あるいは、来るべき(実はご両人がすでにそうであると私は認知しているが)「学者2.0」や「大学教授2.0」等々に関する半分冗談、半分真剣な、つまり非常にセンスのよい考えるヒントに満ち満ちた対談である。
そして対談の最後に言及されている日本における教育のあり方と日本の将来を展望するという文脈での茂木さんの指摘は歴史的にも未来学的にも鋭い。

日本の制度とグーグルが不整合を起こすのは目に見えているね。日本にとって、グーグル的なものは久々に来た黒船かもしれないな。

さて、引用が多くなってしまいましたが、この対談は私にとって非常に励みになるものでした。ネットをたんにもうひとつの便利だけど危険でもある道具としてしか捉えられない常識の厚い壁の前で憂鬱になりがちだった私は二人の認識に心底共感しつつ、自分が直観に頼ってやってきたことが間違ってはいなかったことを確信することができたからです。しかし、「ここ」まですでに語られている以上、私としても、ノイズやスパムを薬に変える仕組みについて、「ここ」以上の認識を提示していかなければいけないな、と思いを新たにした次第です。
(中山さん、ほんと、面白かったよ。教えてくれて、ありがとう。)