人類の記憶すべて、個人の記憶すべて

bookscannerさんがすでに報告しているように、グーグルが2009年までに人類の記憶をすべて電子化しようとしているとすれば、美崎さんはこの2006年にすでに個人の記憶をすべて電子化し終えたら一体どんなことが起るかを日々実験し報告することによって、グーグル的世界の有り様を予言している。美崎さんの報告はわれわれが好むと好まざるとに関わらず3年後に直面するかもしれない現実の予言となっている。すべてが忘れられないように記憶され、いつでもどこからでもアクセス可能な世界。それはわれわれにとって本望なのか悪夢なのか。

美崎さんによれば、個人レベルで、百万件のデータ(記憶)がいつでも想起できる状態を作り出せたときには、それ以前には決して見えない関係が見え(発見され)、「すべてが繋がっている」ことが見えるという。つまり全体が見える。優れた写真家や詩人や学者が、写真や言葉の記憶を直観で、偶然に任せて走査、操作、編集しているとすれば、美崎さんはそれを理性で、必然の相においてそうしている。これ以上の真に驚くべき事実は、他にない。

今日見た写真家荒木経維さんが現在までに撮影した写真は百万枚にはるかに及ばないだろう。詩人の吉増剛造さんが書いた詩の言葉、写真一枚に相当する単位を見つけるのは困難だが、とりあえず詩集の一ページを単位とすれば、現在までに記録したデータは百万件を超えはしないだろう。超一流のアーティストや科学者が扱っている記憶とは桁違いの記憶に、美崎さんは日々刻々と向かいあい、そこから湯水のごとく(?)湧き上がるアイデアを人類にとっての予言として報告し続けている。それをほっといていい筈がない。それに気づかないほうがおかしい。

それに気づいてしまった私は、さて、どうしたものかと、一瞬考えて、結論を出した。俺も美崎さんの百万件のデータに匹敵する記憶を作るしかない、と。できるかどうかは、神のみぞ知る。

追記)
それがかりに「悪夢」であっても、それが「世界」なら、私は抱きしめるしかない。