見読知

昨年の秋頃、気に入った新聞の特集コラム(紙面の半分を占めるかなり大きな記事)を18に分割してそれぞれをデジタルカメラでズーム接写し、その画像をパソコンに取り込んで、ソフト(MaciPhoto)やウェブページで見られるようにしたことがあった。拡大された画像の中の文字の実寸は30ポイントくらいで、一画像には200から300文字。文字はかなり拡大されているが、モニター上で見るかぎりその印象は不思議と新聞紙上の文字を眼で追っているときの感覚に近いので驚いた。脳は「新聞を読んでいる」ときの記憶によって眼からの生の情報をそれらしく感じられるように処理するのだろう。一種のヴァーチャル・リアリティ?

数年前突然直近のものに焦点が合わなくなって(世間では「老眼」というらしい)以来、新聞や書籍の小さな文字を追うのが困難になってからは、むしろ上のような拡大画像をモニター上で見るほうが目も疲れず、画像から紙の質感まで伝わってくるので悪くなかった。しかし、読みたいものをすべていちいちデジタルカメラで撮影してパソコンに取り込むほどの強い動機はその頃はなく、それは結局単発の体験に終わった。今でも眼鏡をかけたりはずしたり、眼を細めたり見開いたりしながら紙上の小さな文字とパソコンモニター上の文字の間を行ったり来たりしている。

最近、その画像をスライドショーにして、画像一枚の再生時間を2秒から1秒間隔で長くして「読む」実験をしてみた。

一枚あたりの再生時間が短いほど、眼で追うだけの状態で、しかもいわゆる「拾い読み」になり、長くなるほど拾う文字の数が増え、6秒くらいから音のイメージ(無声の発音)が伴い始めた。5秒以下では、文字を眼で追うだけになる。長くなればなるほど、心で発音しながら読むようになる。

気がついたことは、スライドショーで強制的に短時間でテキストを見ることを繰り返せば、明らかに「速読」の訓練になるということである。もしかしたら、数秒で、つまり通常のスライドショーの速度で十分に普通に「読める」ようになるかもしれない。しかし、速く読めるようになること自体にあまり意味はないと思っている私はそれをやる気はないのだが。

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mmpoloさんが私の建築に対する興味を巧みに引き取って、「三仏寺奥院蔵王堂」、通称「投げ入れ堂」に関する大変刺激的な内容の記事を送ってくださった。大野秀敏さん(建築学)が書かれた「学問の図像とかたち 63床を置く」(東京大学出版会の雑誌「UP」3月号所収)である。「投げ入れ堂」の独特の建築法である「柱(束)」を写真で是非ご覧いただきたい。
ここ茂木健一郎さんが実際に訪れて撮影した見事な写真がる。また『Wikipedia』の「投入堂」にも写真がある。

大野秀敏さんによれば、それは東アジアに源流する「束の長さを変えればどんな地形にも対応でき、脚を降ろした地形の改変を最小限にするところが優れた」建築技術であり、「環境にそっと『置く』という感覚」に基づいているという。素晴らしい!人工物と自然とのあいだの極限のインターフェースをそこに見た思いがした。最も先鋭的な廃墟感といってもいい。ここに人間の知の究極の姿があるような気さえする。

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改めて「テキストを読む」ということはどういうことなのかを考えはじめていた。数日前から大きなテーマとして浮上している「画像を見る」と、この「テキストを読む」という二つの行為は実/仮の区別を超えて「知識」に関わる基本的な行為である。「(画像の)テキストを見る」をいかに「テキストを読む」に近づけることがきるか、「画像を見る」ことをいかに「画像を読む」ことに近づけるか。あるいは「見る」と「読む」をいかに近づけることができるか。そして、それらをいかに「知る」に統合することができるか。

グーグルやアマゾンやbookscannerさんや美崎薫さんによるテキストの電子化の試みの背景には、哲学的にごつい("tough")基本的な問題が横たわっている。

しかもそこにはbookscannerさんが日々「切り捨て御免」と言ってる姿が目に浮かぶ、「どれだけ、思い出を切り捨てられるんだろう?」という個人的には決して無視できないセンチメンタルな問題さえ付随する。

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今朝の札幌は雪でした。午後になっても小雪が降り続いている。気温は4、5℃なので、着地したとたんに雪は溶けてゆく。


藻岩山は雪に烟(けぶ)っていた。

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bookscannerさんの「やばいよ、この「なか見」」を読んだ時、今朝撮ったアスファルトに描かれた「二度びっくり」マークを連想した。

まだまだ「根雪」にはならないが、今週中にはスタッドレスタイヤに交換しなければならないだろう。雪のないカリフォルニアや奄美大島を少し思う。

(追記)大野秀敏さん(建築学)が書かれた「学問の図像とかたち 63床を置く」(東京大学出版会の雑誌「UP」3月号所収)のページ画像は、やはり著作権を考慮して削除しました。