ソングライン

メカスのフィルム紹介でときどきぶつかるニューヨークの暗号のような使われ方をしているように感じられるストリート名を調べていて、New York Songlinesというサイトに出会った。Bruce Chatwin, The SonglinesにインスパイアーされたJim Naureckasさんが独力で作り上げたマンハッタンの歌の道である。邦訳ブルース・チャトウィンの『ソングライン』を手に入れたいと思ってアマゾンで検索したら、古本で9,700円の値がついていた。あっさりと諦めて、オリジナルのペーパーバック9ドルを注文した。

ウェブ上には池澤夏樹さんによるチャトゥン礼賛の文章をはじめ、特にその『ソングライン』に共感する文章が多い。中でも、ツーリングライダーの内田一成さんの2000年7月25日の日付がある文章「ソングライン」チャトウィンの『ソングライン』を下敷きにしながら、アボリジニアイヌを繋いでいて興味深かった。

オーストラリアのアボリジナルたちは、ぼくたちの目には見えない道を辿って旅をするという。
広いオーストラリアの大地には、大きなものはエアーズロックから、小さなものは砂漠の真中にある蟻塚まで、アボリジナルたちが旅の指標「ランドマーク」とするものがたくさんある。
その個々のランドマークどうしを結ぶラインが彼らにとっての街道で、無数にあるその街道の一つ一つに固有の「歌」があり、その歌をイメージしながら進んでいけば、必ず目的地に辿り着くことが出来るのだという。それで、彼らの街道を「ソングライン」と呼ぶわけだ。
歌詞の中に具体的な事物が織り込まれていると同時に、辿る大地に秘められた力の変化が歌のリズムに編みこまれている...そういったものだろうか。
文字を持たなかったアボリジナルたちは、文字の代わりにイマジネーションに焼き付ける「歌」や「デザイン」を発達させていた。
アイヌもアボリジナルと同じように、文字を持たず、歌で綴る叙事詩「カムイユカラ」や、自然の移ろいを現すムックリ、そして多彩でかつ独特なデザインなど、豊穣なイメージによって歴史や文化を伝えてきた。
ソングラインについて知ったとき、もしかしたら、アイヌモシリにもソングラインのような、我々シャモには見えない「街道」が張り巡らされていて、いまでもアイヌはシャモがオートバイで走る画一化された街道を横目に、独自の豊かな旅をしているのではないかなんて想像した。
「ソングラインマップル」なんてできたら面白いだろうなぁ.....でも、それができたとしても、実際に旅をして、その道すがら口承でしか伝えられないものになるんだろうな。

『ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』が遺作となった保苅実(ほかりみのる, 1971-2004)さんも、チャトウィンから出発してチャトウィンに抗して興味深いことを書いている。「ほかりみのるのアボリジニの世界へようこそ!第4回 グリンジ・カントリーへの道のり:アボリジニは旅人か?」

アボリジニは放浪しません。移動生活民は絶対に放浪しないのです。彼らにとって、好き勝手に放浪することは、共有の精神に反した自分勝手な行為です。だから日本人を含めて、世界の定住型民族の「旅好き・放浪癖」は、聖霊や隣人と共有する広大な大地としての「家」をもたず、壁に囲まれた小さな箱、「建物としての家」に我が家を限定された人々に特有の(つまり人間の起源とは無関係な)比較的新しい欲求であるように僕には思えます。

僕らがアボリジニから学ぶべきことは、「旅の思想」や「放浪生活」ではなく、「壁なき家での暮らし方」なのです。そして、「壁なき家」を獲得するために必要なのは、おそらくは「共有の思想」なのだと思います。最後にとってつけたように言いますが、僕はそれでもチャトウィンの『ソングライン』が大好きです。チャトウィン自身が、旅する生活の価値を深く理解していたことは疑いようもない、と思うからです。

生きる場所、土地、結局は地球を「壁なき家」と見立てる力を自分の中に立ち上げる、回復させることは非常に困難だ。アボリジニでもアイヌでもない現代文明にどっぷりと浸かった私がソングラインを体感できるようになるには、やっぱり、保苅さんもそうだったように、「旅」や「放浪」を経由しなければならないと思う。

New York Songlinesを作ったJim Naureckasは、ヒトにとって最も効果的な記憶術ともいうべき歌によって織りなされた口承文化を見直しつつ、そのような歌の道は実はウェブ上の情報のあり方との親和性が非常に高いということを見抜いたようだ。

An oral culture uses song as the most efficient way to remember and transmit large amounts of information; the Web is our technological society's closest equivalent.

私にはまだそこまで見えない。