関口涼子訳、アティーク・ラヒーミー著『灰と土』をめぐって

詩人の関口涼子さんが翻訳し、2003年にインスクリプトから出たアティーク・ラヒーミー著『灰と土』を大変興味深く読んでいる。

灰と土

灰と土

Earth And Ashes

Earth And Ashes

非常に感心したのは、「訳者あとがき」が日本の読者に対する原著の背景に関する配慮の行き届いたこの上なく優れたガイドになっていることだった。私は、それを軍事、国際政治がらみの断片的な情報から杜撰なイメージしか描けていなかったアフガニスタン社会とそこに生きるイスラーム文化を背景にした人々の心に関する貴重な報告書として読んだ。

関口さんは実際にアフガニスタンの地に足を運び、市井の人々とも交流し、その土地と空気を肌で知っている人だ。原著者のアティーク・ラヒーミーとも親交がある。そんな関口さんによる「訳者あとがき」冒頭における原著および作者の紹介も、よくある「あとがき」とはひと味もふた味も違う「生きた情報源」になっている。

 この作品は、アフガン作家のアティーク・ラヒーミー(Atiq Rahimi)が1997年に書いた『灰と土』(Khâkestar-o khâk)の日本語訳です。ダリー語アフガニスタンで使用されているペルシャ語)テキストは1999年、フランス・ヴァンセンヌのハーヴァラーン社から出版されました。さらにその翌年、サブリナ・ヌーリーの訳によりPOL社からフランス語版が出版されています。フランス語版を通じ、この作品は広く知られることとなり、現在では20か国語に翻訳されています。
 作者のアティーク・ラヒーミーは1962年アフガニスタン、カブールに生まれました。フランス語系の高校でバイリンガルの教育を受け、また、そのころフランス映画と出会い、高校生の時にはシナリオを書く試みを始めます。アフガニスタンにいた頃は、最初は詩を、その後は主に映画批評を発表していましたが、1984年パリに移住、翌年、フランスの政治亡命ビザを取得します。その後、ルーアン大学、ソルボンヌ大学の映像学科を卒業。映像作家として、主にアルテなど、文化・芸術色の強いテレビ局のためにドキュメンタリー作品を制作してきました。
 小説の出版はこの『灰と土』が最初になります。彼にとっては一冊目のこの小説が、小説家としてのラヒミーの名を一気に知らしめることになりました。著作は他に、『夢と懼れの千の家』(Hezâr khâne-ye khâb-o ekhtenâq)が、ダリー語はハーヴァラーン社から2002年、フランス語訳が、やはりサブリナ・ヌーリーの訳でPOL社から2002年に出版され、同年フォンダシオン・ド・フランス賞を受賞しています。
 主なドキュメンタリー作品としては、現在までに『アフガニスタン・不可能な国家』『わたしたちはパンと塩を分かちあった』『テヘラン、十秒後』『ザーヘル・シャー、亡命の王国』等があります。また、『灰と土』は彼自身が監督となって映画化され、2004年夏配給予定です。ちなみに、この映画の脚本は、彼自身と、映画『チャドルと生きる』の脚本を書いたイラン人のカンブジア・バルトヴィとの合作になっています。今後は、この映画制作に関する本がPOL社から来年出版される他、アフガニスタンの写真集『帰還の夢のイメージ』(Image du rêve de retour)がイタリア・エイナウディ社から来年秋の刊行が予定されています。

これによって私は作者の人生の輪郭をつかむことができると同時に、「その後」をいろいろと調べることもできる。

また「訳者あとがき」最後には、「翻訳」の観点から非常に大切で興味深いことがきちんと記録されている。

 この作品のダリー語版とフランス語版は、単なるオリジナルテキストと翻訳という関係にとどまらない経緯で成立しています。まず、ダリー語によるテキストを元に、仏訳者のサブリナ・ヌーリーによるフランス語訳が作られるのですが、その時点で、フランス語にふさわしいリズムと表現を創り出すことを望んだ作者により仏訳者との共同作業による加筆が施され、また、作者自身による内容の改変もこの時におこなわれました。このフランス語版が作られた後で、作者はダリー語版の方にも、さらに別様の加筆を施しました。こうして、原テキストであるダリー語版を出発点として、訳者と原著者の共同作業によるフランス語版と、ダリー語加筆版という、異同を含む二つのテキストができあがりました。出版は、ダリー語加筆版の後にフランス語版という順になっていますが、元々、テキスト完成の順はその逆で、まずフランス語訳完成の後、ダリー語加筆版ができあがった、ということになります。いわば「翻訳」完成後、「オリジナル」が成立したという、異例の事態になっています。
 この経緯を考慮し、翻訳に際しては、フランス語版とダリー語版の両方を参照しました。その上で、二つのテキスト間の異同を比較し、著者に確認の上、その意向に従って、ダリー語版に従う部分とフランス語版に従う部分を決定しました。また、改行については、やはり著者の希望により、これは一括してフランス語版の方に従っています。

このような経緯で成立した今私の目の前にある日本語版テキストには、確かに日本語ではあるのだが、ダリー語とフランス語が透けて見えるような、不思議に開かれた印象を受ける。

それは、

「おなかがすいたよ」


 きみは、赤地に白く染め抜かれたりんごの花模様の風呂敷からりんごを一つ取りだし、埃まみれの上着の裾でぬぐう。

で始まり、

 きみは足を緩め、立ち止まる。身をかがめる。指先で、灰色の土をひとつまみ取り、舌の上にのせる。きみはまた道を行く……。後ろに組んだ手はりんごの花模様の風呂敷を握りしめている。

で終わる。

表紙の帯には、この小説の内容へと読者を誘うキャッチ・フレーズのような「ソ連軍の侵攻を背景に、村と家族を奪われた父の苦悩をとおして、破壊と混乱のなかに崩れゆくアフガン社会を浮き彫りにする、映像感覚あふれる現代小説」とか、「アフガン社会の生の内面、死と名誉をめぐるイスラームの倫理を描き出して、大きな話題を呼んだ」とかいう、それなりに魅力的な小説内容の一般的な意味の要約が書かれている。

しかし私は、この日本語版『灰と土』のテキストの「生命」は、詩人である訳者関口涼子が、日本語の「舌の上」にのせたアフガニスタンの「灰色の土」に他ならない、などと変なことを考えはじめていた。

(つづく)