ジャパニーズ・タコ部屋物語は如何に

simpleAの「アメリカン・タコ部屋」の話が実に多面的に面白い。
「アメリカン・タコ部屋物語(第2話)」
興味をひかれたのは複利という法制度の欠陥といったあたりだったが、なかでも「複利」という概念そのものに特に興味が湧いた。英語ではCompound Interest。英語のInterestには主に(1)興味や関心、(2)利害や利子といった一見相容れないような二種の意味がある。日本語で発想していると利子と興味との間の関係は見え難い。

Interestの語源をちょっと垣間みると、ラテン語の"Inter + est(< esse)"、「間に存在する」という意味であることが分かる。「間に存在する」は「関係する」ということである。異なる二者「の間に存在する」、そのような二者「を関係づける」のがInterest。そこにお金が少なくとも積極的にはからまないのが(1)興味や関心で、お金が積極的にからむのが(2)利害や利子。特に「利子」は世の中のお金の動きそのものに直接関わる制度であり法でもある。

でも、本質的に利子は異なる興味、関心を持つ二者の間を関係づけることだから、両者の興味、関心の差異をよく見極めることによって、どんな興味、関心を持つものが、別のどんな興味、関心を持つものによって、場合によっては支配されることになるのかも見えてくる。

simpleAの分析を読んで、平均的なアメリカ国民は知らずに大きなタコ部屋みたいな空間で不自由な生活を強いられているんだ、と思った直後、ほぼ同じようなことが日本ではどのようなモデルによって粛々と進行しているのかをちゃんと知っとかなくてはならないな、と思わざるを得ない。日本国民に「日本・タコ部屋色々物語」を語ってくれるかどうかは分からないが、simpleAはそのあたりの認識と展望も持っていることを窺わせる。というか、そうでなければ、日本で「シンプル」を旗揚げするわけがないか。

不図、お金には還元されない、言葉によるコミュンケーションにおけるCompound Interestとは何かを想像し始めていた。「信頼」かな?そういえば、simpleAのブログは、新エントリーが確実にブログ信頼度の「元金」に組み入れられるような複利システムを実現しているように見えてきた。