白い暗闇、黒い光 Jonas Mekas



くまさん(『知られざる佳曲』)に薦められたチュルリョーニスの交響詩「森の中で」のCDを聴きながら、ジョナス・メカスの詩「森の中で」(村田郁夫訳、asin:487995375X)を読み直していた。その極端に短い行、基本的に一語で折り返し、続いてゆく詩形は、まるで砕け散った楽園の、その破片がページの上に散らばっているかのようにも見える。「訳者付記及び注記」には次のような説明がある。

本詩「森の中で」はメカスの詩集『ばらばらな言葉』(シカゴ、1967年)の中の二番目の詩として、他の四編の詩「映像」、「旅の断片」、「岸辺で」、「門」と共に収められている。どの詩も同じ形式をとり、一行が一語で綴られているか、あるいは、一語が「ヨー/ロッパ」(85頁/93頁)のごとくに(リトアニア語ではハイフンで)分かち書きにされ、次行に跨がっている。このような形をとる詩は他のメカスの詩集には見当たらない。
(106頁)

そのような分かち書き、行換えのほかに、「森の中で」は1から8までの番号が付された大きな区切りも大きな特徴になっている。それはある種の見通しの悪さ、視界不良の印象をもたらす。そのひとつひとつが迷い込んでしまった言葉の森で、ひとつの森を出たと思ったらそこは別の森だったというように次々と森の中を彷徨い続ける印象を受ける。あるいは、そのひとつひとつが大きな破片にも見える。八つの断片はジグソーパズルのピースのようにはぴったりとは嵌まらない。

試みに、二つの森、大きな破片を書き写してみる。一本スラッシュは改行を、二本スラッシュは一行空けを示す。


ヨーロッパ、/おお、/おまえは/相も変わらず/過去に/よって/輝く、//まるで/子供のように。//おお、/おまえは/私の/少年時代を/打ち砕いた------//私は/いまも/自分の/廃墟を/ひきずり/歩く、/そして/いつも/繋ぎ合わせたり、/積み重ねたりする、//なんらかの/纏まり/を/得ようと/努め/ながら、//なんらかの/繋がり/を。//ああ、/こんな/ふうに/したのは/おまえだ、/私が/いまも/かけらの/ような/存在なのも、//どこにも/与せず、/私は/ひとり/燃えている、//いつも/落ち/こぼれ/落ち/こぼれて。
(64頁-69頁)


今日/いちにち/私は/ひとりだけで/いる、/自分と/ともに/ひとりだけで、/そして//私は/ふたたび/始めから/試みる、/すべてを/理解/しようと、//いつも/無/から、/始め/から------//代/名詞たち、/動詞/たち、/事物/たち------//始め/から/一語/ごと/に、/思想/ごと/に、/行動/ごと/に、/私は/自分自身を/組み立てようと/試みる、//すべてを/開いた/ままにして、//どこに/行くかも/分からぬ/ままに------//ただ/直観/と/即興/に/導か/れ、//堅く/踏み/固められた/道を/避け/ながら//(それらの道が/どこに/導くか/私は知っている、/ヨー/ロッパよ!)//まっ/すぐな/直線を------//歩むときは、/たとえ/回り道で/あっても、/捜し/求めて、/そして/急が/ないで------//もはや/行く/ところも/なく/これ以上/見る/もの/も/ない//------/それゆえ/私は歩む、/あちらに/行ったり、/こちらに/来たり、/いかなる/目的も/もたず、//どんな/新しい/ことにも、/どんな/変則な/ことにも、/耳を/傾け/て//心臓の/鼓動/にも、//新しい/言葉や、/意味を/持たない/音声/にも、//魂の/ささやき/にも、//ふたたび/始め/から/真理を/聞こうと/試み/ながら------//問い/によって/でも/答え/によって/でもなく、//運を/天に/まかせて------//論理/と/意味/を/捨てて、//(私は/知っている、/ヨー/ロッパよ、/おまえの/論理を、/そして/おまえの/意味/を!)//それゆえ/私は/更に進む/もはや/盲目同然で/光も/なく------//手さぐりで/捜しながら、/そして/いつも/耳を/澄まし/ながら、/指先/で/触れながら、/そして/しばしば/迷いながら、//何世紀も/古くから/あった/本道から/分かれた/小径/たちと/擦れ合い/ながら、//ときどき/自分の/指の/うえに、/目の/うえに/私は感じる//爽やかな/風の/流れ/を------//ときたま/まれに、/光の/滴が/飛び/散る、/まるで/花火/の/ように//数瞬の/あいだ/すべての/視界を/照らし/て------//そして/ふたたび/暗闇が/覆う------(78頁-99頁)

書き写していると、メカスの「コマ撮り」の映画を連想する。一行が一フレーム。

以前、本の「頁」とウェブの「ページ」の本質的な違いだと感じたことについて「改行」の観点から書いたことがある。

さらに、見かけの改行ではない本質的な「行換え」に着目した関口涼子さんの詩の思想に触発されて書いたことがある。

あれから一年ほど経過して、またその場所に還ってきた感がする。ただ、見える景色が以前とはかなり異なっている。まだうまく説明できないが、ページとは「白い暗闇」で、そこに刻印される文字は「黒い光」であるという基本的なビジョンが生まれつつある。