図版は必ず左ページ?

府川充男著『組版原論』(asin:4872332725)の「タイポグラフィへの視線」(9–62頁)は豊富な図版資料を基にして「文字」をめぐる歴史、風俗、文化、文明を縦横に駆け巡る非常に中身の濃いもので、いずれここでも取り上げたい話題が満載だが、ひとつだけ特に引っかかったことがあったので記しておきたい。それは組版における図版の配置に関わることである。府川氏はこう書いている。

洋書では図版は見開きの左ページに来ます。文章はその対抗で右ページに来るのが定型です。(51頁)

へー、そう言われれば、そんな気がするけど、どうかな?と思って、手当り次第に洋書を捲ってみたが、必ずしもそうではなかった。もちろん、あくまで「定型」と言われているし、一口に「図版」といってもサイズも種類もまちまちなので、一概には言えないと思うのだが、念のため手元にある『シカゴ・マニュアル』(The Chicago Manual of Style 15th edition)をちょっと覗いてみた限りではページ内での図版の配置に関するルールは書かれているが、左ページに来るというルールは銘記されていないようだった。


Jérðme Sans présente, Jonas Mekas Anecdotes, SCALI(paris), 2007, pp.178–179

府川氏はこの「定型」を脳機能局在論Lateralization of brain function)の観点から、左目が右脳(感覚・運動野)、右目が左脳(言語野)と繋がっているわけだから、「なかなか合理的」であると述べている。脳機能局在論の信憑性はさておき、洋書では本当に図版は左ページに来るという組版ルールが存在するのだろうか?それとも暗黙のルールなのだろうか?それとも……。


組版原論』122−123頁

ちなみにこのように『組版原論』は、例外もあるが、基本的に図版は左ページに来るように組まれている。念のため、野村保惠著『本づくりの常識・非常識[第二版]』(asin:487085189X)に当ってみたが、図版の左右ページ指定のルールは書かれていない。