素白先生の写実精神あるいは散歩と旅


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ひょんなことから、素白先生こと、岩本素白の随筆に出会った。「ジャーナリズムから遠く離れて生き、その消息は知るひとぞ知る」(本書裏表紙の紹介文より)と言われる、碩学の国文学者かつ恐るべき散歩の達人かつ随筆の名手との評判の素白先生はこんな文章を書いた人だった。

牛堀と長瀞

 水郷なぞという言葉がまだ使われず、利根川というものが、東京の人達の心からずっと遠い処にあった頃である。四日も続いた土用明けのざんざ降りに降りこめられて、鹿島の町の宿に、独り侘しさの限りを味わい尽した私は、いつまで待っても止まない雨に痺れを切らせ、大船津から銚子行きの汽船に乗って、初秋の雨の降りしきる江上に泛(うか)んだ。
(3頁)

本書の編者である池内紀氏の解説では素白先生の文章の「静けさ」、その生涯の「単純と純粋」が殊の外指摘されている(231頁〜237頁)。なるほど、と思った。たしかに、言葉と人生の「虚栄」と「虚勢」から限りなく遠ざかろうとする「写実精神」を感じる。サイレント、シンプル、ピュアー。

ただし、素白先生の文章の「静けさ」、サイレンスはただならぬ静けさであって、池内紀氏は「しみるような哀感のなかにも、えもいえぬゆたかさ、賑わい、はなやぎがひそんでいる」と注意している。

(そういえば、ピュアーといえば写真家HASHIさんだし、シンプルといえばid:simpleAさんだし、残るはサイレントだけか。唾をつけとこう。)

素白先生の本名は岩本堅一。明治16年(1883)、東京・麻布の生まれ。昭和36年(1961)10月没。長らく早稲田大学で教えた、国文学者である。id:qfwfqさんが素白先生について詳しい記事を書き継いでいる。そこで思いがけず、id:funaki_naotoさん、id:inmymemoryさんとすれ違った。

それにしても、素白先生の「散歩」はほとんど「旅」といってもいいほどの、つまりは芭蕉さんの「奥の細道」がお手本のような旅ではある。私もまた「朝の散歩」と称して、町内という狭く小さな世界と思われるかも知れない場所を「奥の細道」しているのかもしれないとふと思った。