アスファルトの円形の凹みに見知らぬ草が

札幌、曇り。朝は涼しかったが、しだいに蒸し暑くなった。藻岩山の頂上は雲に隠れていた(→ Mt. Moiwa, July 16th, 2008)。

風太郎が暴露したように(「我が輩は風太郎である1」 )、たしかに散歩しているときの私はかなり怪しいということは、自分でも薄々気づいてはいる。カメラを首からぶらさげ、必要以上にきょろきょろ辺りを見回しながら、突然見上げたり、突然振り返ったりしているようだ。世間では間違いなく私は「挙動不審な人物」というカテゴリーに入ると思う。

でも、世間の目はほとんど気にならない。迷惑さえかけなければいいだろうと高を括っている。家族からは、一緒に歩きたくない、とはっきりと言われます。しかし、それも気にならない。それに、そんな振る舞い方が当たり前、自然なものとしてすっかり身に付いてしまっている。いまさら、品行方正な人物なんかに戻れない。ただ、寺山修司のようにはなりたくないと思っている。彼は、超えてはいけない一線を超えた。その一線は、超えてはならない。それが私のなかに僅かに残っている倫理である。ちっちゃい人ね、あなたって。もっとも、そのせいで私は終生凡人で終わるであろう。構わない。皆非凡な人、天才にあやかろうとしすぎるのだ。中には自分も非凡の仲間入りを果たしていると錯覚するお目出度い凡人もいる。あれはカッコわるい。それに比べたら、堂々と「平民」を名乗る金子さんはカッコいい。真に非凡だ。

そういうわけで、今朝の散歩でもきょろきょろしながら、沢山写真を撮ってしまった。それで、記事をいくつかに分けている。ここでぜひ紹介したいのは、タチアオイ・ストリート(立葵通り。Hollyhock St.。私の勝手な命名。地図には載っていません。念のため。)をアスファルトの路面を見つめながら歩いていたときに目に留まったこれ、である。


An Unknown Plant on Hollyhock St.

いいなあ、と感じた。文明、都市のインフラの僅かの亀裂、隙間から自然がその生命力を漲らせている。通りのど真ん中である。狭い通りなので、幸い車の車輪には踏まれない位置にある。よく見ると可愛らしい葉っぱだ。こんな風にまじまじと人間に見つめられたことはないに違いない。ちょっと恥ずかしがっているようにさえ見えた。私は手入れの行き届いた庭の綺麗な花を見るのも好きだが、こんな名も知らぬ地味な草が人知れず逞しく独りで生長する姿を見るのもとても好きだ。しかも、こういう人工と自然のせめぎ合いにうっとりとしてしまう。小さな廃墟みたいなもんだと感じる。ちなみに、この草を「雑草」という分類から調べてみたが、未同定である。先端が丸みを帯びた細長い卵形の肉厚の葉。太い茎が地を這っている。これから花をつけるあてにならない予感がする。

こんなことを書くと、やっぱり「気持ちの悪い変な奴」であると大分の小野さん(id:sap0220)に太鼓判、烙印?を押されてしまいそうだが、彼だって実はかなり変に違いないと私は睨んでいる。「SJC大分出張所所長」を買って出たり(http://d.hatena.ne.jp/sap0220/20080702/p1)、急遽「大阪夏の陣」を企画したりする(http://d.hatena.ne.jp/sap0220/20080714/p1)んだから、かなりクレージーだよね。狂気の継続者...。いいねえ。そうだ。マルの中に「変」と彫ったハンコを作っておいて、今度会ったときに背中にこっそりと押してやろう。我ながら、非常に大人げない妄想である。