性差という観念を超えて

ニューヨークからサンフランシスコに活動の拠点を移して頑張っているid:mika_kobayashiさんが性差sexualityをめぐる自らの変さqueerさ加減についてもっともなことを書いていた。mika_kobayashiさんとは微かなジョナス・メカスつながりである。

爺はたまたま生物学的には雄として生まれ、ジェンダーとしても男として自己形成を遂げてきた。世の常として、女性諸君に比べれば、性差を強烈に意識させられることなく、スケベなひとりの男として呑気に育ってきたといえるだろう。そんな鈍感な男をmika_kobayashiさんは許せないかもしれないなと思う。

それはそれで仕方ないと思う一方でこんなことも思う。男/女というあまりに単純な区別もまた、逆手に取る、くらいのしたたかさがそれこそ多様な人生にとって必要なことではないか、と。雄や雌としての身体や生理の諸条件、諸制約に遊ぶ余裕とでも言ったらいいだろうか。さりとて、爺は歳のせいかどんどん雄、男であることから遠ざかりつつあることも確かである。そしてその方が楽しいことが広がるという実感もある。なにせ最近の爺は言語使用のある一定の傾向から「40歳の女性」であると診断されもした。

ところで、爺が敬愛する詩人や歌舞伎役者やダンサーはなぜかみな女に近づきつつあると告白している。男/女という二項対立としてとらえられる観念は、実は両者の間の関係性の複雑さを内包した符牒に過ぎないという理解が深まれば、mika_kobayashiさんの苦痛も少しは和らぐのかもしれないと思った。