サンパウロ在住の写真家・楮佐古晶章(かじさこあきのり)さんの「今日のブラジル 写真日記(Photograph diary)」(『南米漂流』)を読んでいて、「遠い谺」を聞くような錯覚を抱いた。
サンパウロも例外ではない地球規模の情報化による画一的な小綺麗なお店の増加への複雑な想い、写真家としての「真の仕事」の理想、ブラジルという異郷に根を下ろす際の根深い葛藤。それぞれの一面が、彼が理想とする「ドラマチックな写真、映画の1シーンのような写真、何かを感じる写真」のように文章化されている。彼がまだ身に付いていないと嘆く「瞬間を切り取る目」を彼の文章に強く感じた。写真や絵と言葉は排除しあうものではなく、それぞれが生き生きと無関係に共存、寄り添うことができるのではないかとふと思った。