停車場

気立ての良い娘が停車場に迎えに来てくれるような、ますますアジアの田舎になっていく日本のある町で、必死に何かを作ろうとか、何かを残そうとかする罪深い人々には背を向けて、明日をも知れぬ季節に寄り添う労働に明け暮れながら、仕事もなければ金もない九月には、近所の路地や公園や墓地で猫や葉っぱやカラスと友だちになったりしていると、今この瞬間に一万年の時をゆっくりゆっくりと刻む時計の音がどこからともなく聴こえてくるのであった。そしてふとあることを思いつくのであった。そうだ、1年でひとつ針が進む。100年ごとに鐘が鳴り、1000年ごとにカッコーが飛び出してくる、そんな時計が似合いそうな、誰も下手に何かを残そうとか人より速く走ろうなんて気持ちにはならないような、そこに行けばどんどん身も心も軽ーくなっていくような「長ーい今」を売る「停車場」という名のへんちくりんなお店を始めよう、と。