三笠市立博物館分室森林資料展示室

一昨日訪ねた三笠市立博物館で一番印象深かったのは実は「幾春別保育所」の表札だった。これは本館とは別棟の分室:森林資料展示室の門柱に遺されていた。この表札は敢えて取り外さなかったのだろうか。でも古くは見えない。むしろ新品に見えた。色んな思いが頭を駆け巡った。比較的新しい立派な二階建ての建物の本館はすでに報告したように化石資料の展示室が中心で、他に炭坑資料の展示室があった。本館から数十メートル離れたところに分室の古い木造平屋の建物があった。本館は数十人のライダーの集団をはじめとする見学客で混み合っていたが、分室に向かう者は私と妻以外にはいなかった。




森林資料展示室は旧保育所の建物の内部をそのまま再利用しているようだった。園児たちの声が聞こえる気がした。各種樹木の資料室、ヒグマやエゾシカ蝦夷リスや野鳥などの剥製展示室、甲虫や蝶蛾の標本展示室とならんで、比較的新しい印象の「杣夫と生活」の部屋があった。杣夫(そまふ)とは樵(きこり)のこと。杣とは木を植え育てて木材をとる山を意味する*1。木は山に「ある」のではなく、人が植えて育てるものだという長年にわたって継承されてきた知恵が「杣」という言葉には宿っていると感じる。部屋の中央には藁葺きの杣小屋が再現され、壁際には大小の鋸(のこぎり)や各種の橇(かんじき)が展示されていた。ちょっと想像しただけで、俺には樵はつとまらないなと思った。

そういえば、萱野茂さんの経歴にも十数年間にわたる樵時代があったことを思い出した。

萱野さんが樵(きこり)になって山仕事に明け暮れていたころ、学者や研究者が次々に村を訪れてはアイヌ人の墓を掘り返す。さらに血をとったり、からだを調べたり、生活用具までも買いあさっていきました。
http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=18198701t01