ウェブログとブログの差異

ウェブログがブログと縮めて呼ばれるようになった背景には、あちら側からこちら側、機械ないしはシステムの側から人間の側への視点の移動があったのだと思う。システム主体の概念であるウェブログが人間主体のブログへと引き寄せられたのである。機械的記録から人間的記憶へ。

そこに技術者という両性具有的な主体がライフログという曖昧な概念を持ち出した。ログはあくまでシステムの側の概念であるにも関わらず、そこに人間が主体であらざるをえないライフという概念を合体させた。

だから、技術者の肩書きを捨ててもいい覚悟でtakuo.. .は語る。

(ログの世界は)恣意的な何かが入り込む余地が無い世界だ。これをベースに世界を作れば、どうなるのかはSFの世界でよく語られるけれど、まぁとりあえずは「ろくなもんじゃない」という結論へと導かれる感じだろうか。
センサーとライフログ

エジプト神話で跋扈する神様たちがゾンビとして蘇ったかのような「ろくでもなさ」というわけだ。

したがって、takuo.. .は苦言を呈する。

聞かれるから答えたってレベルを超えて語り出すと、語りの作法を要求されちゃうんだよ、技術屋さん。
技術は寡黙に浸透する

この点に関しては、技術者は「語りの作法」を鍛えるべき過渡期にあるのだと思う。技術者が分不相応に語り出したのは、一種の自問自答が始まったからではないだろうか。それはネットの技術が従来の技術以上に人間の存在の根源に触れる何かを持っているからではないかと感じる。技術者とて、takuo.. .も一抹の迷いを表明しているように、一枚岩の存在ではありえないのだから。