マッコリを飲むとファドを思い出す

最近、濁り酒にちょっと恋している。懐かしさもあって、時々マッコリ(Korean Traditioal Rice Wine)を飲む。今日は Big House でたまたま「抱川一東(ポチョン イルドン)」を安く手に入れた。日本では神戸の会社が扱っている。

マッコリを飲むとまざまざと蘇る思い出がある。

アメリカにいたときに、研究所で仲良くなった若い二人Tさん、Uさんとオークランドポルトガルのファドの女性歌手マリーザのコンサートに出かけたときのことである。Tさんの誕生日のお祝いを兼ねていた。オークランドバークレーの隣町で、サンフランシスコから見ると、湾を挟んだ反対側、ベイブリッジの向こう岸、イースト・ベイにある町。よくない噂ばかり聞かされていたが、関係なかった。オークランド韓国焼肉屋で飲んだマッコリの味がマリーザの歌声と共に忘れられない。

そのときの「記録」(未完の『カリフォルニア通信2004』の一部)にはこうある。

10月22日は、Uさんの運転で、オークランドのカルビン・シモンズ・シアターに向かいました。唯一オークランドを知っている、といっても道に迷った経験ですが、僕が助手席で地図を見ながらナビゲートしました。コンサートは8時から。すこし早めの5時半に研究所を出たのですが、ちょうど帰宅ラッシュにつかまりオークランドに入ったのは7時すぎでした。計画していたメキシカン・レストランを覗くと満員で、4、50分待ちと言われ、そこを諦めた僕らは、それでも、かなり空腹だったのでブロードウェイという中心の通りをドライブしながら適当なお店を探しました。意外にもオークランドの中心部にはチャイナタウンとコリアン通りがありました。ハングル文字の看板が続く辺りで、もう時間もないし、ここにしようと、あるコリアンレストランに入りました。焼肉屋でした。日本の焼肉屋と同じあの煙の匂いが立ちこめている。この臭いをぷんぷんさせて、コンサートに行くのか?と僕は一瞬躊躇しましたが、背に腹は代えられないという気持ちで、覚悟を決めました。肉2種類、スープ、ビビンバ、そしてもちろんマッコリ(これが美味かった!)、を注文しただけでしたが、一人前の肉の量が日本に較べ数倍多く、大量のレタスも付き、前菜に7、8種類のキムチやナムルなどが出てきて、野菜サラダも付いてきました。最初は短時間でこれだけの量を3人で食べきるのは無理だと思いましたが、若い二人の健闘で、ほぼ全て平らげ、8時10分前にはその店を出る事が出来ました。

しかし、カルビン・シモンズ・シアターの駐車場は満車で門が閉められていました。しかたなく路上駐車できることろを探しましたが、シアター周辺の路上はどこも一杯で、探しまわっているうちに8時を過ぎてしまいました。そこでもう一度シアターの駐車場前に行ってみると、今度は門も開いていて、入れるではありませんか。本来の駐車スペースではありませんでしたが、係員の指示で、幸運にもシアター入り口正面の路上に駐車することができたのでした。僕はネットで購入していた3人分のチケット、Will Callと呼ばれる、当日会場で受け取るチケットを取りに走りました。チケット代はTさんの分は彼の誕生日のお祝いとして、Uさんの分は運転代として僕が持つことにしてありました。すでにシアター内からは歌声が聞こえています。TさんとUさんも僕の後から駆けつけました。席は3階、既に照明が落ち、マリーザの歌声が響く中、会場係の黒人の中年女性が、ハローと言って迎えてくれて、僕らのチケットの席番号を懐中電灯で照らして確認してから、席の方に案内してくれました。1曲目が終わり、会場が拍手と歓声に包まれる中、僕らは3階席の最前列という、一番安い席の中では一番見晴らしの良い席になんとか落ち着くことができました。

総立ちの観客の鳴り止まない拍手とアンコールを受けて、マリーザは最後にマイクなしでライブ、正しく生の声で一曲披露しました。そのときだけ伴奏の3人のギタリストたちもマイクを通さずに演奏しました。マイクを通さなくても、マリーザの歌声はかなり大きなホールの空間全体をその多彩な波動で満たしました。コンサートが終了したのは9時40分。あっという間でしたね、というUさんや、これがファドですかというTさんの言葉には、感動のニュアンスが感じられ、僕は内心ほっとしたのでした。ファドという音楽をよく知らなかった二人を、僕の趣味で、半ば強引に引っ張ってきた手前もあったからです。特に二人は最後の生の歌声に魅せられたようでした。僕はと言えば、もっと間近にマリーザを見、聴きたかったと思ったのでした。観客にはやはりポルトガル系、ブラジル系の人たちが多かったようで、マリーザのトークは基本的にはなまりのある独特の英語でしたが、その一部はポルトガル語で、観客の一部に語りかける場面もあり、またある歌では、観客もポルトガル語で歌い出すという場面もありました。そういう場面では、もし美空ひばり都はるみがこういう場所でコンサートを開いたら、やはり日系の観客が多く集まる中、日本語のトークも当然出るだろうなと思いました。ファドの歌い方は演歌に近いものを感じましたが、その複雑にうねる節回しは演歌のコブシよりもかなりダイナミックで伸びも幅も大きなものです。それは一つには多分歌詞に籠められた感情の質が違うからなのだろうなと思いました。

 (『カリフォルニア通信2004』18-2より)