原罪の思想:緒方正人の闘い

昨日の朝日新聞朝刊に、「水俣病問題 『個の責任』に立ちかえれ」と題された緒方正人(おがたまさと)さんによる長文の意見広告が掲載された。緒方正人さんの思想と行動に深く感動した。

緒方正人「水俣病問題 『個の責任』に立ちかえれ」(2009年6月18日朝日新聞)より

自身水俣病患者であり、水俣病がたんなる政治問題として処理されることに反発し、人間としての真の解決の道を身を以て示しながら闘ってきた緒方正人さんが、この3月に政府与党が国会に提出した「最終解決」をうたった「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法案」の欺瞞性を告発し、自身のこれまでの歩みを振り返りつつ、われわれは社会的、政治的立場や利害関係を越えて「個」の責任において「原罪」の地平によって立つべきことを強く訴えている。

 私は、水俣市から車で半時間の芦北町女島[あしきたちょう・めしま]で漁師をしている。毎日、妻と2人で不知火海[しらぬいかい]に船を出し、タチウオやアジを取る。3歳のころの記憶がある。網元の父におんぶされ、舟の上でかわいがられている記憶だ。屈強だった父は、私が6歳の時、発病した。父は激しいけいれんを起こし、よだれを流し、半年後に死んだ。おいっ子は胎児性水俣病、そして私の母も同じ病で苦しんでいる。周りから白い目で見られ、ダイナマイトでチッソ工場を爆破し、父の敵を討ちたいと思った。

しかし、底知れぬ怒り、煮えたぎる復讐心が向かった相手、当初は明白だったはずの企業そして行政当局は対象として曖昧になっていった。突き詰めれば突き詰めるほど、「責任」の所在も不明になり、ついには、そこに自らも巻き込まれているいわば「原罪」の構造が見えてきた。そして緒方さんに「個」としての大きな転機が訪れる。

 チッソや行政の責任を追求しても、結局のところ、それは行政が患者と認定し、チッソが賠償する「制度」の中に取り込まれてしまう。責任の所在は明らかにされず、患者は患者救済と称する「仕組み」や「制度」に埋没しているのではないか。患者もまた原罪を背負っている。
 もし、私がチッソの社員だったらどうしただろうか、と考えた。これまで問う側に身を置き、問われる側に立つことがなかったから。出た結論は、私も同じように行動しただろうということだった。85年、私は認定申請を取り下げ、患者団体を脱退した。「制度」から抜け、自分で自分を認定したんだと思った。何より1人の人間として、チッソや国、県と向き合いたかった。

(中略)

 以来、個と個の関係で、どう責任をとるのかという問題意識を持ち続けている。もちろん責任を果たすことなどできない。だが、そのことを認め、その罪を背負って生きることはできると思うのだ。

(中略)

 患者には三つの誇れることがある。病に苦しみながらも魚や海を恨まなかったこと。胎児性患者が生まれようとも、子どもを選ばず産み続けたこと。そしてチッソの社員や公務員を傷つけなかったことだ。
 人々は不知火海を大切にし、「信」を置いて生きてきた。かつて水銀という毒を流され、傷ついた海は、埋め立てで藻場は消え、魚は減り続ける。そんな海の再生に、国や県やチッソは力を注いだらどうか。

(中略)

 与党案にはこのような思想が欠落している。原罪を背負って生きる者たちに、まず、個人としてわびよ。

緒方さんは、一緒に罪を背負う覚悟を問うている。原罪の地平に共に立てなければ本当の解決などありえないと訴えている。それは半世紀以上にわたって人生を損なわれた人の揺るぎない確信であり、普遍的な価値をもつ思想であると思う。


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