風のフリュート、涙の扉


 風のフリュート (集英社文庫)


ジャンパーのポケットに藤原新也の『風のフリュート』(集英社文庫)を入れて皮膚科に向かった。二週間ぶりだった。待合室で診察を待つ三十分ほどの間、身が引き締まるのを感じていた。荒涼として、凍てつく風が吹きすさび、まるで夜のように暗い冬のアイルランドにいたような気分だった。『風のフリュート』は72枚の写真から成り、小説『ディングルの入江』(asin:4087473856)から抜粋された冬のアイルランドの風を孕んだような言葉が随所に散りばめられている。もちろんそれらは写真の説明ではない。写真に説明はいらない。写真を説明することはできない。写真が説明になっている。写真に見いっていると言葉を忘れる。今まさにそこにいると錯覚させる。題名「風のフリュート」はこんな風景に由来する。

 いくつかの石積みの柵を乗り越えて、西に向かってさらに歩き続けると、草地は少しずつ前方に向かって傾斜の度を増しながら次第にまばらになる。そして土の層は薄くなり、方々に剥き出しの玄武岩が突き立ち、風がその表面をたたきはじめる。石積みの柵の無数の不定型の穴は、朽ちたフリュートのように穴の形に応じた種々の風の笛を吹き鳴らした。その音には、アイルランドのある種の歌のように、しめつけるような寂しさとそれを打ち消すような陽気さとが同居している。(本書にノンブルはない)

皮膚のかゆみはほぼ治まっている。ときどき体内のヒスタミンが悪戯をするが、二月以来五ヶ月間の全身のかゆみを思えば、天国にいるような気分である。副作用の眠気は相変わらずである。医師と相談の上、このままオキロットとダレンを、体調に合わせて一日に服用する回数を増減しながら、もうしばらく(一ヶ月)服用し続けることにした。今、思いがけず、「天国のような気分」と書いたが、『風のフリュート』の最後には「眼差しのノック」と題されたあとがきのような文章が添えられていて、その中に藤原新也が高校生のときに出会ったヘブライ語の聖書の一節「天国の扉は、すべて閉ざされている。/涙の扉をはぶいて。」が引用されている。彼は、それを自分の体験に重ね合わせながら、「天国の扉」は人が絶望感や閉塞感から抜け出すことのできる唯一の「扉」を指し、「涙の扉」とは「心の扉」にほかならないと解釈している。

たしかに、そのような扉はどこか外部にあるのではなく、心そのものが一皮、一皮むけるようにして開いてゆく、そのような扉なのかもしれない。