門司港駅。
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周防大島、沖家室島へ向かう途中で門司港に寄り道した。ガイドブックは藤原新也『鉄輪』だった。
手にする列車の切符の行き先に、知らない町の名前が書いてある。
門司港の駅の改札口で母から切符を渡され、そこに印されている町の名を見たとき、私は不安に襲われていた。長いプラットホームの向こうの列車へと歩いていく人々の背も、なぜかそれぞれの人生の不安をかかえ、見知らぬ町に向かう人々のように思われた。
まだ冬の気配を残す、三月初旬の冷たい風が流れ込んでくる。
たった今列車に乗り込んだばかりなのに、風にはなつかしい門司港の匂いがした。もう二度とこの町には戻ってこないのではないか。そんな思いに駆られながら、私はゆっくりと動きはじめる門司港の町を見つめている。
窓の遠くに、かつて一家で花見に行く折に歩いた坂道が見えたとき、家族の記憶がそこに置き去りにされたまま、遠ざかっていくような気がした。(藤原新也『鉄輪』2頁〜3頁)
門司港を過ぎてしばらくして、関門海峡が見えた。
私はわれを忘れ、それに見入っていた。
見慣れた海峡が、むかし子供のころ幻灯機で見た、あの浄土に流れる河のように思えたからだ。
(中略)
浄土というのは、ひょっとしたら自分の生まれ育った町のことなのかも知れない。(6頁〜7頁)
門司港駅は古い木造の駅舎が当時の面影を宿していた。門司港は小さな、そして人の暮らしに近い温かい港だった。港は人の暮らしと海との接点だが、私が見て育った工場群に占拠された大きな室蘭港は暮らしからは遠かった。