沖家室島が揺れた夜


松本昭司さんとお父さん(島で現役最高齢、八十六歳の漁師であり、かつ、最後の釣り鉤職人)


沖家室島に根を下ろして生きる松本昭司さんは私とほぼ同年代、彼の方が二歳年上、で高度経済成長と歩を合わせて成長してきた世代である。松本さんは都会でサラリーマンをしていたちょうど30歳の時に父親から「お前の船ができたぞ」というたった一言の知らせをきっかけにして島にUターンしたということが佐野眞一『大往生の島』には書かれていた。しかし、深夜の沖家室島の鯛の里で酒を酌み交わしながら、色んな話をしている間に、私がふと「お父さんの言葉がなくとも、帰ってきたんですよね?」と聞くと、「そうだよ」と意外とあっさりとした答えが返ってきて可笑しかった。「なぜか故郷に対する思いが強いんだよなあ」という言葉が印象的だった。佐野眞一も書いているように、Uターンして漁師を始めた直後に、7メートルの岸壁の上から落下して腰の骨を砕いた。漁師は諦めざるを得なかった。悶々とした気持ちを抱えながら入院している時に出会った島の元漁師の老人との会話の中で、漁師はだめでも、民宿と水産加工の仕事ならできるという思いが立った。松本さんの腰には今でもメタルが入っている。実は、上野のHASHI展で遭遇した姜信子(きょうのぶこ)さんとの会話で、最近ナミイおばあは左脚を骨折したものの、メタルの入った左脚で、以前よりもさらに元気に歌い続けいていて、なんと「メタルおばあ」と呼ばれている、という嬉しい消息を聞かされていた。深夜の鯛の里で姜さんから託された旅の道連れのCD『ナミイ!』を松本さんと一緒に聴いているとき、そんな話をしたら、「俺もメタルおやじだ!」と言って喜んでいた。不思議な、メタルの縁ではある。鯛の里のお座敷には、古風な大きなスピーカー、レコードプレーヤー、アンプ、通信カラオケ用モニターなどが床の間を占領している。二人だけの響宴も音楽の話で最高潮に達した頃、松本さんはジェフ・ベックのLPを大音量でかけた。鯛の里は揺れた。一瞬、沖家室島そのものを、そして日本を? 揺らしてやろうという気持ちが松本さんのどこかに生まれたのではないかと思われたほどだった。こうして島で生きることの口には決して出さない哀しさ、寂しさに触れた気もした。ジェフ・ベックの演奏にからむロッド・スチュアートの歌声がよかった。沖縄の民家で録音されたという『ナミイ!』にも何かを強く感じた様子の松本さんだったが、二曲目「安里屋ユンタ」に入ったときに、「これ別の人でしょ?」と反応したのには驚いた。ナミイの歌声が一気に艶と張りを帯びてきたのを聞き逃さなかったのである。すでに酔いで呂律がまわっていないが、その辺の貴重なやりとりがビデオに記録されていた。