本書の冒頭には、表題にもなっている「全ての装備を知恵に置き換えること」と題された、パタゴニアの創始者イヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard, born 1938)との出会いを綴ったエッセイが「まえがき」の代わりのように置かれている。この題名は次のように語る往年の名クライマーでもあったイヴォン・シュイナードの言葉から取られたものだった。
「冒険というものの究極は自分の体一つで行うことだと思っている。(中略)私にとっての究極は何の道具も使わない“ソロクライミング”なんだよ。チョークもクライミングシューズもガイドブックも……。裸で登るのが究極さ。きみが興味をもっている古代の航海術と同じように、全ての装備を知恵に置き換えること。それが到達点だと思ってる。私はそれを完全に信じてやまない」(7頁)
5年前に来日した際のあるインタビューでイヴォン・シュイナードはビジネス観と世界観についてこんな発言を残している。
私が一番苦戦していた時代は通常のビジネスのやり方でビジネスをしていた時期でした。ビジネスマンになろうと思ったことはないんです、私は元来職人ですからね。手でモノをつくるのが天性なんですよ。ビジネスマンについては今でもリスペクトする気はないんです。作ったものを売る仕事をしていてあるとき気がついたら、ビジネスマンにもなっていたというところです。で、以前はマニュアルどおりにビジネスをしていたんですが、それが指し示すものは決して私がやりたいことじゃなかったんです。ルールを破って自分がやりたいようにやるようになってから、うまくいきだしたんです。自分のやり方でプレーするのがとても重要で、他人のゲームをプレイしようとすると負けてしまう。自分のやり方、独自のやり方でやっていかないとダメなんですよ。
私はとても悲観的な人間です。問題の解決は不可能だと思っています。問題があることを大概の人はわかっています、でも自分のライフスタイルを変えてまで問題も解決しようとはしていません。人は暴力的で破壊的で、消費は環境を破壊しています。でも消費傾向が抑制されると経済が崩壊してしまいます。私はこの問題に対する答えはないと思っています。だから自分ができることをやるしかない。もしかしたらこれは人類の終わりということなのかもしれません。私自身はできることをしているのでハッピーですけどね。ずっと危険なスポーツをやってきて死ぬのは怖くないし、もしかしたら人類は滅亡したほうがいいんじゃないかとすら思います。だから言えるのは普通のやり方で自分ができることをやっていくことです。ライターなら書くこと、スピーカーなら話すこと。私自身は環境活動の戦士として働くことはできない。やれば人を殺してしまうかもしれないですしね(笑)。私にできるのは、この会社を経営して、みんなで活動することで力を持ち影響を与えることだと思っているわけです。
「自分のやり方、独自のやり方で」「自分ができることをやるしかない」のは今や常識とも言える見解だろうが、その「やり方」に関しては、イヴォン・シュイナードは若い頃からサンテグジュペリが Wind, Sand and Stars, 1939 (邦訳『人間の土地』)で語った次のようないわば「引き算の美学」を信奉していたという。
飛行機のみならず、あらゆる人間が作り出した物において、ある原理が存在することを考えたことがあるだろうか? 物を作る上での人間の生産活動、計算や予測、図面や青写真を制作するために費やした夜などはすべて、唯一にして究極の原理『シンプリシティ(単純性)』を追求した物ができ上がることで完結するということを。
そこに達するためには、まるで自然の法則が存在しているかのようだ。つまり、家具、船の竜骨、飛行機の胴体などの曲線を人間の胸や肩の曲線が持つ根源的な純粋さに少しでも近づけようとするために、職人たちは何世代にもわたって試行錯誤を重ねるべきであると。何においてであれ『完全』とは、すべてを脱ぎ去り、ありのままの姿に戻ったとき、つまり、加えるべきものがなくなったときにではなく、取り去るものがなくなったときに達成されるのである。
「シンプリシティ(単純性)」を追求し「引き算」を徹底することは簡単なことではない。「足し算の幻想」に囚われ、「複雑さ」に振り回される姿は他人事ではない。しかし、石川直樹が語るように、「何が必要なのかを考える前に、何が必要でないかを考え」(3頁)るというパタゴニア的発想の転換こそが、多くの場面でそれこそ必要なのだと思う。生きる上で必要だと思い込んでいる、思い込まされてきた、どれだけ多くの「装備」が実は必要のないものであるかを考えること。