ジョナス・メカスのインターネット観

ジョナス・メカスの3月10日付けの日記(http://jonasmekasfilms.com/diary/?p=218)によれば、彼の旧友ジョン・ブロックマン(John Brockman)が非常に想像力を刺激するサイトEgdeを開設した。



その理念に曰く、「世界の知識の縁に到達するために、最も複雑で洗練された精神の持ち主を探し、彼らを一堂に集め、各自が抱える問いをお互いに問いかけ合ってもらう」。かなり高尚な、意欲的なサイトである。メカスは、自分の拙い寄稿文は除いて、そこでは最も才能豊かな同時代の知性が、コミュニケーション・メディア、インターネット、心など、人間の潜在力を様々な観点から論じている、と述べる。メカスが謙遜する文章は自身の生い立ちから現在に至るまでをメディアの観点から超簡潔に語ったものである。


その内容を紹介しよう。先ず彼は、自分が農民の息子(farmer boy)だったことから語り起こし、次のように続ける。

テレビもない、電話も電気もない、村中でラジオが一台しかない20家族からなる農村で育った。初めて映画(movie)を見たのは14歳のときだった。

1949年にニューヨークで映画(cinema)に恋をした。1989年にそれまでのフィルム(film)からヴィデオ(video)に切り替えた。2003年にコンピュータ/インターネットを取り入れた。だが、インターネット国(the Internet Nation)には参入したばかりであり、インターネットという手段についてしっかりと考えているとはいえない。片言しか言えない。

それでもはっきりしてきたことは、インターネットが仕事の内容、形式そして手順に影響を及ぼしていることだ。インターネットは心(mind)にこっそりと、間接的に入り込んでいる。

2007年に365日企画(365 Day Project)を行った。短篇映画(short film)を毎日ネットに上げた。シネマ時代には、制作は非常に抽象的だった。観客のことは考えられなかった。フィルムは配給センターに置かれ、やがて誰かがそれを見るということしか分からなかった。ところが、365日企画では、後に分かったのだが、ネットにアップして数分のうちに世界中の友人たちや見知らぬ人たちがそれを見たわけだ。まるで語り合っているように感じたものだ。それは親密で、詩的でさえあった。もう配給(distribution)の問題については考えていない。友人達と作品をただ交換し合っているだけだ。家族の一員のように。それが好きなんだ。心がちょっと違った状態に移ったんだ。心の状態が思考の状態に何らかの関係があるのかないのか、ということは私にとっては重要なことじゃない。私は考える人(thinking person)というわけじゃない。詩人(poet)なんだ。

インターネットとの関わりについてもう一言だけ付け加えるなら、それはインターネットが排除しているようにみえるあらゆることに、以前よりも注意を払い始めたということだ。特に本。自然は言うまでもない。要するに、インターネットが仮想現実(virtual reality)に発展すればするほど、私はますます実際の現実(actual reality)を愛し守る必要を感じるんだ。感情的(senntimental)な理由からじゃない。非常に現実的で(real)、実際的な(practical)、ほとんど生存に必要なもの(survival need)だからなんだ。すなわち、実際の現実(actual reality)を失えば、文化的にも肉体的にも、自分自身の非常に本質的な部分を失うことを知っているからなんだ。


たしかに、素朴な意見かもしれない。インターネットはせいぜいひとつの傾向にある集合的なコミュンケーション・メディアが乗っかったひとつの手段でしかないと割り切れば済む話かもしれない。そして、どんなメディアも制限メディアでしかないことを考えれば、インターネット上のあらゆるウェブサービス、一種のコミュニケーション・メディアだけが特別に仮想的だとは言えないだろう。むしろ、従来分断されてきた媒体が一つのプラットフォーム上で扱えるようになったのはネット関連技術の功績に数えられるだろう。だが、メカスの素朴な感覚は、実は、メディア以前の生きる身体、言語、自然の方から湧きあがって来るもののように思える。そこから逆に見通した時、実はメカスが人生の伴侶として歩んできた「映画」でさえ、彼のいう「実際の現実」を裏切るものでなかったとは言えないような気がして来る。だが、そこから先はいつかメカスに会ったときにでも話そう、、。


そういえば、3月10日付けのビデオ日記では、メカス父子は山形の酒「泉十段」で乾杯していたなあ。風味は「辛風(しんぷう)」。美味そうだ。ジョナス・メカスの息子のセバスチャン・メカス(Sebastian Mekas)は1981年生まれのはずだから、まだ28歳か。87歳の父と静かに語り合い、日本酒で乾杯している。いい父子だなあ。