We are no islands:Interview with Jonas Mekas @ Dotfest


the DotFest - THE 1ST INTERNATIONAL ONLINE SHORT FILM FESTIVAL



Interview with Jonas Mekas



旅の空の下、ジョナス・メカスが審査員を務めることになったドットフェスト 第1回 国際オンライン短篇映画祭(the DotFest - THE 1ST INTERNATIONAL ONLINE SHORT FILM FESTIVAL)が今日から始まったことを彼の日記で知りました。上のインタビューはそのサイトに掲載されたものです。どんな映画を、なぜ、誰のために撮るのか? という質問から、映画にとってのインターネットの意義は如何に? という質問に至るまで、全部で九つの一見素朴な質問に対するメカスの回答がいつもながらに非常に熱く、激しく、深く、この短いインタビューは狭い意味での映画の話題をはるかに越えて、敢えて言うなら、よりよく生きるための示唆に富むものになっています。以下にざっくりと訳してみました。


なぜあなたは映画を撮るのですか? なぜあなたはそのような(ありきたりの物語的なものではない)映画を撮るのですか?

なぜ映画を撮るのか私にも分からない。取り憑かれている(It's an obsession)。
私は日記作家的な映画(diaristic films)を撮るが、それは基本的に映画の物語形式(a narrative form of cinema)なんだ。ただ、私は普通とは違った種類の物語的映画を撮っていることが知られていないだけだ。皆古風な物語的映画に慣れているからね。


それにしてもなぜ日記作家的なのですか? それでは一般に関心を引かれないでしょうし、見る者はあなたの人生に多少とも巻き込まれることにもなりますから、そのような映画を良いものにするというのはトリッキーな課題のように思えます。あなたは自分の映画が誰にも見られないかもしれないことが怖くはないのですか?

どんな映画も無関心に晒される危険にある。実際、大抵の映画はそうだ!
他方、「関心」("interesting")という言葉には全く意味がない。というのは、例えば、もし、ジョンにとって関心のあることはピーターにとっては関心がなく、セルゲイはピターとジョンが二人とも退屈するような他のことに関心があるとしたら、私は一体誰のために映画を撮るべきなんだろうか?
これには答えはない。だから私は自分と友達のために映画を撮るんだ。私はいわゆる観客(the audience)というものを想定したことは一度もない。


ですが、もし友達があなたの映画が好きではないと言ったらどうですか? かつてそういうことはありませんでしたか? あなたは「正常な」(つまり、実験的ではないという意味ですが)映画を見ますか?

まず、私は実験的映像作家ではないことをお断りしておきたい。私は実験などしない。単純に映画を撮るだけだ。私の知る良い映像作家は実験などしない。もちろん、私はあらゆる種類の映画(films)を見る。いわゆる映画(cinema)は多くの大小の枝をつけた大木のようなものなんだ。時には小さな枝の方が苺のように味わい深いということが起こる。新しく「改良された」大きなトマトは味気ない。今でもイタリアの田舎の村で採れる小さいが自然のトマトの味わいには比べるべくもない。私の映画が好きではない友達に関してだが、実際には、私の友達は皆私の映画が好きなんだ。だが、時折大勢の観客に私の映画(movies)を見せる時には、映画のある部分が好きになれないという人が現われる。それは正常なことだと思うから、私はそういう人たちには謝ることにしている。


だから実験的ではない、ただの「映像作家」( "film-maker")である、と? しかし、たとえ実験する意図がなかったとしても、あなたは実験をしている! 日記映画を撮ってそれを小さな友達の輪よりも大きな規模の観客に見せることは、正に実験です。なぜ良い映像作家は実験をしないのですか?

そう、私はただの映像作家だ。私は映画を撮る。私の日記作家的映画は実験ではない。自分がやっていることははっきりしている。何をどうしたらいいかに気づくために実験など必要としない。ただ映画を撮るだけだ。 ドライヤーがただ映画を撮ったのと同じ。ブラッケージしかり。コクトーしかり。ゴダールしかり。ロッセリーニしかり。短い叙情詩は壮大な叙事詩を書くための実験ではない。そもそも実験とは科学において見出されるものに過ぎない。それにまた、今日料理人は実験をして古き良き食べ物を破壊しては恐るべき食べ物を産み出している。たぶん、3-D映画の技術が進歩するなかでは3-D映画を実験と称することもできるだろう。それは認めよう。あるいは初期のカラー映画でも、たしかに、ある種の実験が行われた。だが、それらの実験に携わっていたのは科学者たちだった。 マレーヴィチは実験的画家だったわけではない。彼はただの画家だった。同じ事はポロックについても言える。彼は実験的画家などではなかったんだ! サティーは実験的作曲家ではなかった。ストラヴィンスキーもそうだ! だから、実験的映像作家を云々するのは止めよう。映像作家は映像作家にすぎない映像作家なんだ。私たちは皆映画(Cinema)と呼ばれる木の一部なんだ。


分かりました。このインタビューでは「実験的映像作家」("experimental film-maker")と言うのは止めにしましょう。あなたはいま何人かの名前を挙げましたが、これまで何度もされたであろう次のような質問をしないわけにはゆきません。あなたに最も影響を与えた映像作家は? あなたが薦める映画は?

私は周囲のあらゆるものから影響を受ける。読んだ本すべてから。見た映画すべてから。聴いた音楽すべてから。それらすべてが私の中に浸透して為すこと、在ることすべてに影響を与える。私たちは孤立していない(We are no islands.)。私はすべての詩人、すべての科学者、全ての聖人に負っている。私が今こうして在るのは彼らのおかげなんだ。だが、中には私がやっていることに近かった、あるいは、近い詩人や映像作家もいる。彼らには連帯を感じる。それは彼らが私に影響を与えたからではないし、私が影響を与えたからでもない。それはたんに連帯の問題なんだ。例えば、ある人が私がやろうとしていることに似た何かをやっているだけの話。そういうものだ! だから私は正しい道を歩いているはずだ。私は誰が何と言おうと私の道を歩き続ける。 アンドレ・ジッドはかつて<影響>を主題とした美しいエッセイを書いた。それを読んでごらん。


読んでみます! 映画の道をちょっと外れますが、あなたの回答を聞けば聞くほど、詩について尋ねたくなります。あなたは詩人でもある。あなたは英語とリトアニア語の両方で(あるいは他の言語で)書きますか? あなたにとって詩を書くことと映画を撮ることとの違いは何ですか? それともすべてはただ創作(making art)にすぎないということですか?

まず最初に、私は創作(make art)しない。
私はフィルムに撮る。私はビデオに撮る。今やほとんどビデオだが。その成果は動画(moving images)だ。
詩を書く時、私はただ書く。その成果は一連の言葉(words)。
そこには非常に大きな違いがある。
言葉でできることは、画像(images)ではできない。
画像を使ってすることを言葉を使ってすることができるなら、映画は発明されなかっただろう。そんな必要はないからね。
このことは、私たちが二つの異なった実在、人間の経験の二つの異なった領域を扱っているということを意味する。
歌いたくなると、歌う。
踊りたくなると、踊る。
踊りでできることを、歌ではできない。
書きたくなると、書く。
撮りたくなると、撮る。


もう一つ尋ねたいことがあります。私たちはアンソロジー創設の理由をあらまし理解していますが、変っているのは、アンソロジーが映画マニアや保存偏執狂のような団体ではなく、現に活動中の映像作家たちによって創設されたということです。アンソロジーの仕事はあなた自身の芸術に邪魔になるとは考えませんか? それともあなたは蒐集家になったのですか?

アンソロジー・フィルム・アーカイブズ(Anthology Film Archives)は映画マニアによって創られた。私は映画マニアだ。私はかつてヴィレッジ・ボイス(The Village Voice)の映画日記コラム(Movie Journal column)でそれについて書いたことがある! 映画に取り憑かれた者は何物によっても悩まされたりしないんだ! 私たちはアンソロジーの映画マニアなんだ! 私たちは蒐集家ではないし、歴史家でもなく、ただのマニアなんだ。まともな人なら最低限の給料あるいは無給で日夜働こうとはしないだろう! しかし私が映画を撮ることを邪魔する物など何もないんだ。私にとって、どんな映像作家にとっても、撮るか撮らないかは選択の余地のないことだからね。とにかく、撮らなきゃいけない! 私の組織的な仕事は、シネマテークや映像作家組合(Film-makers' Cooperative)の運営、ヴィレッジ・ボイスへの寄稿、フィルム・カルチャー誌の編集、そしてアンソロジーの運営,などなど、数え上げれば切りがないが、それらすべては、私の作詩や撮影の邪魔になるようなものじゃないんだ!! これからも決してそんなことはない!!!
蛇足ながら、私は自分のすることすべてが好きなんだ!!! この会話も含めてね。どうだい、私は狂ってるだろう!


たしかにおっしゃる通り! 一日の睡眠時間はどれくらいですか?

不規則だよ。何に関わっているかによる。普段は、夜更かしだ。街が寝静まってからいい仕事ができる。でも、5時間の睡眠は必要だ。できれば7時間は欲しい。


19時間から17時間は寝ないで、かなりの量の仕事をこなしているわけですね! それでは最後の質問です。インターネットとインターネット上の映画についてはどう感じていますか? ネット上での映画に関するあなた自身の経験についてどう感じていますか? インターネットは映画の新しい配給の方法だと考えますか?

ここで言えることは、5年前に作品を広める新しい方法として、インターネットをいくらか取り入れたということだけだ。テクノロジーには決して退歩はない。思うに、処理すべきどんな問題があろうとも、インターネットは定着するだろう。そしてインターネットは映画配給にまつわる愚かな広告のバブルを一掃してくれるだろう。こんなに簡単に自分の作品をインターネット上で誰もが利用できるようにすることができて、しかも数分のうちに世界中の友達に見てもらえるなんて、なんと驚くべき、なんと美しいことか!
さあ、このくらいにしよう。
語り合えてよかった。
ここニューヨークのブルックリンは美しい青空だ。君にも青空を!


  ジョナス・メカスと彼の作品の詳細については彼の新しいウェブサイトを参照のこと:www.jonasmekasfilms.com