ソローの水の哲学

自然はそう簡単にはその懐を開いてはくれない。辛抱強く時間をかけて付き合ってはじめてその秘密が少しずつ開示される。相手が何だろうと、それまでの自分という輪郭や境界が揺らぐ中での相互の観察を経てはじめて、相手は単に一方的に見るだけでは見えてこない姿を垣間見せる。そしてその記録に使われる言葉はそれまでの意味体系を密かに変容させる。



asin:4880593540


ソローの『コンコード川とメリマック川の一週間』は、川旅の紀行文を装った<水の哲学>の書である。ソローの自然との関わり合い方の特徴は、例えば、ブリーム(Bream)と呼ばれるコイ科の淡水魚との関わり方によく表われていると思う。

ブリームは自らの務めに没頭する魚なので、水の中で近づき、ゆっくり時間をかけて調べることができる。私はその上に半時間立ち、怖がらせることなく優しく撫で、自分の指を傷つけず無邪気に齧られる経験をしたことがある。そのとき私の手が卵に近づくと、怒って背びれをたてるのであった。また穏やかに彼らを私の腕で持ち上げることさえした。もっとも、これは指を徐々に近づけ、手のひらの上で均衡をとらせ、最大限の優しさでゆっくりと水面へと持ち上げることによってのみできるのである。もし一度にすばやくやろうとしたら、どんなに器用にやってもうまく行かない。瞬間的な警告を彼らの濃密な自然力で伝えるからである。移動はしないが、ヒレによって絶え間なく小舟を漕ぐような、あるいは揺れる動作を続ける。それはすばらしく優雅で、控えめな幸せが伝わってくる。それは彼らのすみかが、私たちのと違って、常に抵抗を受けている流れのためである。(山口晃訳、ソロー著『コンコード川とメリマック川の一週間』35頁)

ぞくそくする記述である。体に電気が走る。ソローの経験に言葉が追いついていない気がする。まるで言葉は、人間から遠ざかりつつ、ブリームの生命の形と運動に異常接近しているかのようだ。ただ、「濃密な自然力」や「すみか」という訳語にひっかかった。原文に当たってみた。

The breams are so careful of their charge that you may stand close by in the water and examine them at your leisure. I have thus stood over them half an hour at a time, and stroked them familialy without frightening them, suffering them to nibble my fingers harmlessly, and seen them erect their dorsal fins in anger when my hand approached thier ova, and have even taken them gently out of the water with my hand; though this cannot be accomplished by a sudden movement, however dexterous, for instance warning is conveyed to them through their denser element, but only by letting the fingers gradually close about them as they are poised over the palm, and with the utmost gentleness raising them slowly to the surface. Though stationary, they keep up a constant sculling or waving motion with thier fins, which is exceedingly graceful, and expressive of their humble happiness; for unlike ours, the element in which they live is a stream which must be constantly resisted. (Henry David Thoreau, A Week on the Concord and Merrimak Rivers, LA*1p.24)

ご覧のように、原文では、それぞれ、‘denser element’、‘the element’ である。「エレメント」、つまり古来、自然哲学において、自然界を構成していると考えられてきた四大元素(土、水、空気、火)のうちの水のことだ。ソローはブリームの生命の形と躍動に触れることを通して、彼らの存在と切り離せない環境を構成する元素としての水に、体はもちろん、心と言葉をも深く浸し、それ以上でもそれ以下でもない、水という境位(エレメント)において、自分が生きる世界を瑞々しく捉え直そうとしたと言えるかもしれない。

*1:Henry David Thoreau: A Week on the Concord and Merrimack Rivers; Walden; or Life in the Woods; The Meine Woods; Cape Cod, The Library of America, 1985