未来生活デザイナー美崎薫さんの途方もない実験

bookscannerさんのお陰で知った、未来生活デザイナー美崎薫さんの途方もない体験的実験に一瞬言葉を失った。本の電子化によるグーグルの狙いは何かという問いをめぐる、bookscannerさんとのやりとりのなかで、私にとっては未知の方向から出現した美崎薫さんによるMYCOMジャーナル特集「『記憶する住宅』そして未来へ - 記憶を発想に高めるコンピュータ環境を作る」をしっかりと読み直した。前のエントリー「グーグルの盲点」と「グーグルの盲点2」を書いた時点では、先入観からか、ちゃんと読まずに、飛ばし読みで、誤解し、その結果bookscannerさんの考察を理解し損ない、失礼なことを書いてしまった。重ねてお侘びします。bookscannerさんにちゃんと応答するためにも、これは美崎さんの実験の意義をきちんと理解しておく必要があると思い直した。一見遠回りに思える道が、じつは近道だったりする。
上記の特集は六回に亘る非常に内容の濃い研究・開発報告である。

1記憶する住宅〜デスクトップneo
2インタラクション2004〜SmartWrite/SmartCalendar
3SmartWrite/SmartCalendar(1)
4SmartWrite/SmartCalendar(2)
5SmartWrite/SmartCalendar(3)
6SmartWrite/SmartCalendar(4)

そしてこれに先行する特集「記憶する住宅 〜ITリフォームから電脳住宅へ〜」は美崎さんのプロジェクトの大枠と前提を知るのに必須であり、大変興味深いが、今回は上の特集に的を絞って私の感想を記しておきたい。
ちなみに、その内容目次は:

(1) 記憶する住宅プロジェクト
(2) なにを記憶するのか
(3) 撮った写真と画像は45万枚
(4) スキャナからデジタルカメラ、外注へ
(5) 資料のデジタル化問題(1)
(6) 資料のデジタル化問題(2)
(7) 超高解像度スキャナを使って子どものときの写真をとりこんだ…(1)
(8) 超高解像度スキャナを使って子どものときの写真をとりこんだ…(2)
(9) PhotoWalker、PhotoLog
(10) 45万枚の画像を見るための新しいインタフェース〜眺める時代(1)
(11) 45万枚の画像を見るための新しいインタフェース〜眺める時代(2)
(12) 一生日記(過去日記)
(13) 「見る」
(14) 容器としての「記憶する住宅」(1)
(15) 容器としての「記憶する住宅」(2)
(16) まとめ

それにしても、凄まじい実験であり、それがそのまま個人的体験として生かされ、さらに遠くない未来の生活の予言的デザインになっている、と強く感じた。グーグルがグローバルに展開する実験に本質的に等価な実験を美崎さんはほほ独力で行ってきたと言っていいのではないだろうか。グーグルの狙いを美崎さんの試みを深く経由することによって読もうとしたbookscannerさんの意図がようやく分かりかけてきた。

美崎さんがやろうとしていることは、現在一人の人間がデジタル技術を駆使してどこまで何が可能かを徹底的に探る試みだと言える。その未完の探究の経過報告の結論は極めて哲学的でもある命題である。

はたして、外部にためた記憶は記憶なのだろうか。直感的にいえば、それは記録であって記憶ではない。もし筆者が記憶を失ったとして、厖大な記録に目を通しても、自分のものである、という一人称的な感覚は抱かないかもしれない。

だが、ほんとうにそれは、記憶ではないのだろうか。心理学や認知科学や脳に関する種々の実験は、人間の記憶が、それほど明確に記録と分けられないことを示唆している。一方、人間の記憶は、記録とは異なり、曖昧でとりとめがなく、移ろいやすく変わりやすいこともわかっている。

記録は記憶なのか。記録は人生なのか。今後10年、コンピュータを使うユーザーは、否応なく、この命題に直面する。
6SmartWrite/SmartCalendar(4)

昨日まで私はまるで勘違いをしていた。美崎さんの探究は「人生と自我」の深い謎に、「記憶」をサポートする「記録」の技術によって迫ることだった。

体験が重層的に人の心に深く刻みつけられているか、その意味について考えれば考えるほど、人生の奥深さに触れる気がする。

これほど多くのものに触れながら、なお、自分という存在が揺らがずにあると感じられるのは、途方もないことのように思われる。それらを折々に思い出せることは、人生を豊かにしてくれる。
6SmartWrite/SmartCalendar(4)

ところで、肝心な美崎さんが駆使するデジタル技術に関して触れておかなくてはならない。詳細は是非特集をご覧いただきたい。具体的には、容易にメモを書きためられる「 SmartWrite」と、カレンダー型の写真ブラウザ「SmartCalendar」の二つである。両者に関する研究開発の経緯が非常に興味深い視点から濃密に語られている。その視点とは、現在一人の人間が自分の知的活動をデジタル技術によってどこまでどんなふうに高められるかという視点である。例えば、「 SmartWrite」開発の原点は、未だに手帳に代表される紙媒体のアイデアメモ機能を超えるデジタルツールが存在しないことであった。しかし、驚くべきことに、「「『SmartWrite』は紙を超えた」(4SmartWrite/SmartCalendar(2))。残念ながら、未だOSX版はないので、試すことができなかったが、美崎さんの詳細な報告を読めば十分に想像がつく。
もう一方の「SmartCalendar」は人生がそうであるように、時間にそって「私が関わる」膨大な記録(テキスト、画像、音声)を融通無礙に操作、編集できるソフトウェアである。これにはOSX版「SmartCalendarX」もあって、早速ダウンロードして使ってみた。この「SmartCalendarX」は美崎さんの研究開発に触発された大坪五郎さんが開発したもので、iPhotoと連動している。素晴らしい!

本当に凄いと感じたのは、美崎さんが「SmartWrite/SmartCalendar」を組み合わせたデジタル環境で日々普通にやってらっしゃることのスケールの大きさ、私には想像も及ばない膨大なデータと向き合う体験である。例えば、手書きのメモなども含めた写真+画像100万枚を「見る」という経験を美崎さんは常時普通になさっているらしい。それにまつわるある体験の証言が非常に興味深かった。

そうこうしているうちに、写真+画像100万枚、音楽6,000曲を「SmartCalendar」などで常時ぶん回す今日この頃なのだった。写真と画像は、10万枚を超えたときに、なにか違う世界に突入したことを感じたものだった。これまで体験していたのとは違う種類の体験だ。

このときのパラダイムシフトは、その後100万枚を超えても、一向に訪れていない。量的な変化だけでは、認識は変わらないのかもしれない。次の飛躍は、タグづけができたときに訪れるかもしれない。あるいは、10年モードや100年モード=一生モードの実装がそれをもたらすかもしれない。

いずれにしても、デジタル技術は記憶を変えようとしている。根本的に。
6SmartWrite/SmartCalendar(4)

(つづく)