古いものとの対話


10年前に買った『デザインの現場』(1997年6月号)を読んでいた。特集は「文字とレイアウト」。附箋が貼ってあった頁を捲ると、なんと先日メッセージをいただいた朗文堂の片塩二郎氏の記事だった。すっかり忘れていた。

冒頭の節「印刷の歴史はタイポグラフィの歴史だ」には、タイポグラフィとは単に書体や書物を中心にしたデザインと印刷の術ではなく、いわゆるリテラシー(読む能力、書く能力)をも含めた全文化的=教養的な知的営為であることが説得的に説かれていた。その文脈で紹介されていた伝統的な欧文書体のギャラモンとボドニをめぐるエピソードが非常に興味深かった。

ミラノで十二年間修行したコックさんが、本格的なイタリアレストランを日本で開業する際に、日本のあるデザイナーにトータルなデザインを依頼したんです。デザインが仕上がってきて、それを見た瞬間にそのコックさんは「これじゃ、フレンチレストランだ。この字は使えない」と言ったそうです。その意味が、デザイナーにはわからなかった。このデザイナーはギャラモンという書体を使ったんです。ギャラモンは、ギャラモンというフランス人がつくった、フランスの伝統的な、まさにフランスを象徴する書体です。イタリアのイメージからは、遠い書体なんですね。一方、「GIORGIO ARMANI」など、ミラノのファッションブランドの多くのロゴに、ボドニという書体が使われています。ボドニはイタリア北部で生まれた書体で、これを見るとヨーロッパの人は「ああ、イタリアだな」と思うわけです。(28頁 - 30頁)

片塩二郎氏は、この逸話を五百五十年以上におよぶヨーロッパのタイポグラフィの歴史におけるいわば「知の領域」ないしは「歴史的視点」として、「単なる書体」の背後に控える「されど書体」の意味、重みを物語る一例として引き合いに出されたのだった。

これを改めて初めてのように読みながら、文脈は少しずれるけれども、一昨日書いたエントリ、

で書き切れなかったことに思い至った。そこで私はオプティマという欧文書体の魅力が伝統的なローマン体(セリフ体)と新興ないしは前衛としてのサンセリフ体の境界線上の書体と位置づけた。そして専門家の小林章さんの「中間の書体」という位置づけを引き合いに出した。その「境界」的ないしは「中間」的であることの意味をもう一歩踏み込んで言うなら、「対話」的ということだと言いたかったのだった。すなわち、古いもの、伝統的なものを、無礙に否定したり、切り捨てたりせずに、きちんと向き合ってそのよい所を見極めて吸収消化し、その上で新しいものを作り出すという柔軟な発想が大切だということ。

そして今日、酒井博史さんの日章堂印房を訪ねて先ず感じ入ったことは、実は古い道具が現役でちゃんと使われていることだった。そして使われていない古い機械も捨てずにちゃんととってあることだった。だから、古い道具たちが所狭しと店内にひしめいていた。そんな古い環境のなかで酒井さんは新しい何かを模索しているのだった。しかも酒井さんは先代のお母様の経験と技術をこの上なく尊重し、どんな細かなことについても対話を欠かさないことにも感動した。真の前衛とは古いもののなかから新しいものを生み出す力だと思う。そもそも、古いものをちゃんと知らなければ、何が新しいのかも分からないはずなのだから。

古いものとの対話、それは格闘といってもいい大変な作業ではある。