情報文化論2008 舞台裏 第4回 文字の発生

GWで運良く、運悪く、二回休講をはさんでの、第4回の講義の準備をしながら、情報の伝わりやすさについてつらつら考えていた。字数の多いレジュメやタフテがこき下ろした情報密度、情報解像度の低いパワーポイント資料をあでもない、こうでもない、と結構楽しみながら、作っては、やっぱりダメだ、こりゃ、と捨てる。気がついたら、紙にペンを走らせていた。パッと思いついた概念図のひな形みたいな図をいくつも描いていた。そのままでは、文字も崩れているから、やや見難いかもしれないが、少なくとも私に作れるパワーポイント資料よりは、圧倒的に見やすいというか、伝わるものが確実にあるという気が確かにするから不思議だ。手書きの「味」? おそらく、そこには情報伝達の認知条件が関わっているはずだ。紙であるとか、手書きであることに含まれる背景、地になる情報量と図になる情報量の総量がきっと、同じ内容の資料をパワーポイントで作った場合の情報量よりも数倍から数十倍は多いのだろうと推測する。いやいや、そうかもしれないが、それよりも重要なことは、私なり、学生たちなりが、積極的にそこに情報を読み込もうとする、自分の頭のなかから情報を呼び出そうとする働きを促す力が、手書きの下手くそな図にはあるような気がしてきた。

もちろん、このままではいくらなんでもひどすぎるので、これらをたたき台にして細部を詰めて、もう少し見易い概念図を数枚作ることにしよう。ちなみに、こんな感じの図である。すでにちょっとだけ手を入れてある。

図1復習:宇宙、生命、言語

図2生きるとはさまざまな媒体を通して「つながり」を更新し続けることである

図3言葉は本来「魔力」、「呪力」を秘めている

図4観念の魔術化、技術化の動向と形と器の系譜

図5突出した外部記録力を備えた文字の発生

図6Googleと外部脳としてのインターネット