情報の質から情報の解像度へ

原研哉著『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年、asin:4000240056)は単なるデザインを情報デザインとして深く見直す試みとして読むことができます。ただし、私は『デザインのデザイン』を単に褒めるために書いているのではありません。その限界をはっきりさせたくて書いています。念のため。

日本ではなぜか「デザイン」は表層的なサービスにとどまりがちであり、デザイナーは分断されパッケージ化されたデザインを供給する職能に自足してしまいがちであることに深い危惧を覚えた原研哉は、デザインはあらゆるメディア、あらゆるコミュニケーションに深く関与するものであるという考えから、バウハウス以来のモダニズムにおける「素材」を突き抜けて、ある意味でとらえどころのない「情報」そのものにまで遡行しながら、デザインの概念を大きく拡張し、再定義を試みようとします。その過程で、リチャード・ソール・ワーマン流の「情報建築」または「情報デザイン」という考え方に接近します。

デザイナーは受け手の脳の中に情報の建築を行っているのだ。(『デザインのデザイン』第3章「情報の建築という考え方」63頁)

...リチャード・ソール・ワーマンの言葉を借りれば「情報デザインのゴールはユーザーに力を与えること」である。ある情報が世の中に知れ渡ったり、ある商品がたくさん売れたりすることの背景にはこの力が動いているはずだ。「情報の質」を高めることによって発生する力は、情報の受け手の理解力を促進する。

 デザイナーが関与する部分は情報の「質」であり、その「質」を制御することで「力」が生まれる。それは素早く伝達したり大量にストックしたりという「速度」や「密度」そして「量」と言った観点だけで実現する力ではない。「いかに分かりやすいか」「いかに快適であるか」「いかにやさしいか」「いかに感動的であるか」というような尺度から情報を見ていく視点こそデザイナーが情報に触れるポイントである。
(第8章「デザインの領域を再配置する」209頁)

要するに、あくまで「商品」としての「情報」の質をコミュニケーションの観点からどこまで深く広く捉えることができるかが、デザイナーの命運を決するというわけです。


ところで、デザインにおける情報組織化、すなわち「情報デザイン」の重要性を世に知らしめた、自称「情報建築家」のリチャード・ソール・ワーマン(Richard Saul Wurman)はこんな人物です。

(リチャード・ソール・ワーマンは)1962年、26歳の時に刊行したmaking information un- derstandableという著書で注目された。また1980年代には、画期的な旅行ガイドACCESSシリーズや電話帳、地図帳などのエディトリアルデザインの分野で大きく注目を浴び、情報デザインの重要性を世に知らしめた。彼のテーマはいつも自分が理解するのに問題がある事に絞られている。それは、すでに知っていることよりも知りたい、分かりたいと思うこと、できることではなく、できないことを出発点にしているためである。「情報アーキテクチャー」は彼の考案した言葉。
LATCH - 5つの情報の整理棚(『モジックス』)

ワーマンの邦訳書は今までのところこの二冊です。

情報選択の時代

情報選択の時代

それは「情報」ではない。―無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン

それは「情報」ではない。―無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン

『それは「情報」ではない。』 に関する要を得た書評はこちらを。


さて、『デザインのデザイン』でさえ、デザイン、情報デザインを語る言葉(デザイン思想)は、デザインの実践に追いついていない、思想と実践が乖離しているという印象が拭えません。「情報の質」といわれる「質」がもっと解き明かされる必要があるでしょう。一つのヒントは、以前別の文脈で何度も引き合いに出した、タフテ(Edward R. Tufte, born 1942)の「情報の解像度」という捉え方にあるのではないかと睨んでいます。

タフテの公式サイトはこちら。