エクリチュールの挑戦

平民新聞』の平民金子さん(id:heimin)にはいつも度肝を抜かれる。

ここまでやるか、といつも感心する。いや、本当は、こういう物言いでは、彼のエクリチュールの強度をちゃんと受け止め、そのリズムに乗ることはできない。そもそも、その「感心」は、軽蔑と尊敬の入り混じったかなり高度な内容なのだから。「三上サン、ついて来れる?」という声が聴こえる。残念ながら、ついて行けるんだよね、これが。でも、ただついて行くだけじゃ、詰まらないしね。ちょっと「評論家」してみます。

平民さんは私も含めた最も厄介な世間全体に真っ向から「思想」ではなく「言葉」そのもので立ち向かっている。「写真」でも。その猥雑な空気全体、色んな気の流れを非常に敏感に察知して、そこに素敵な「ダム」を作ってみせたり、一本の「急流」を出現させてみせたりする。カタルシスを演出する。それは物語ることの始源の力によってこそ実現される。見事な手際である。

こんな風に解説しようとする私の言葉は、やっぱり、どんどん野暮になっていく。やっぱり、やっぱり、私は私で私なりのエクリチュールで勝手に遠くから呼応するしかないな。

言葉で遊ぶとは大人の孤獨な真剣勝負だ。平民さんが引き受けている責任の大きさを思うとき、『平民新聞』はブログ圏に空く大きな風穴のように感じられる。ブログをやり始めたばかりの学生さんたちにとっては、「応用編」のお話でした。