豊平川の河原でル・クレジオを読む

歌の祭り

歌の祭り

ふと思い立って一冊の本を持って豊平川に向かった。河原でその本を読みたかった。

ル・クレジオの『歌の祭り』はこう始まる。

 二十年ほど前のこと、一九七〇年から一九七四年まで、ぼくはパナマダリエン地方に住むアメリカ先住民の人々、エンベラ族およびその親族にあたるワウナナ族と、生活をともにする機会を得た。この経験は、ぼくの人生をすっかり変えた。世界および芸術についての考え方、他の人々との付き合い方、歩き方、食べ方、愛し方、眠り方、さらには夢にいたるまで、すべてを変えた。(003頁)

『歌の祭り』の中で一際印象的なのは、癌で死にかけたまだ若い、三十歳くらいの女の逸話である。パナマの市民病院では医者に見放され、森の中の自宅に帰った彼女は部族の呪術師の家で最期の時を迎えようとしている。彼女には数週間ずうっと呪術師メニオが付き添っている。

 彼女のために、メニオは毎晩歌った。彼女の夫と両親が、ベカ(歌の祭り)のための費用を払った。家は祭りのために飾られ、棕櫚のアーチが作られ、花束が置かれ、木像が準備された。家の中心、木の葉のベッドの上には、アトーレ(トウモロコシの重湯)とチチャをみたしたお椀。けれどもメニオが歌っているのは、もはや治癒をめざしてのことではなかった。この若い女性が死んでゆくことを彼は知っていたし、彼はただ死に向かう彼女に付き添ってやるだけなのだ。

 ぼくはそれ以前にそんなことを見たことがなく、将来もけっして忘れることができないだろう。若い女は、家の床に横たえられていた。胸は苦しそうに持ち上げられ、もう手足を動かす力は残っていなかった。それなのに、彼女の顔は輝いているのだ。絶食のせいで大きく見える彼女の両目は、見たこともない光を放っていた。ここは彼女の故郷だ。病院での、恐ろしい、手荒な、検査や穿刺の日々と分かれて。いま彼女は死につつあるが、きわめておだやかに、アイバナ(呪術師)の声にのって、凧のように軽やかに漂っている。彼女は二日後の夜明け、メニオの歌の終わりとともに、亡くなった。(015頁-016頁)

そんな体験の理解をこの本の中でル・クレジオは詳細に語ることになるだろう。

 ぼくは歌の祭りについて語りたかった。なぜならこの儀礼に参加したことはぼくを完全に変え、宗教や医学について、または芸術と呼ばれる時間と現実の別の概念について、ぼくが抱きうるすべての考えを変えてしまったのだから。これらの祭りのおかげで、ある普遍的な真実についての、これ以上に完全で意味深い表現、単に治療としての存在理由をもつだけではなく失われた均衡の探究でもあるような表現は、ありえないということが、ぼくにとっては明らかになったのだ。歌の祭りによって、アメリカ先住民の人々は、これ以上のものは今後もけっして見出せないであろう形式の完全さ、表現の力強さを、見せてくれたのだった。(016頁)

しかし、ル・クレジオは根源的に不可避の失敗を受け入れざるを得ない。

 もちろん、ある水準の理解に到達したあとでは、ぼくにはそれ以上に進むことができないということも明らかにわかった。これは、受け入れるのがむずかしいことだった。それは失敗を受け入れることであり、恋がかなえられないことの悔恨に似ていたからだ。ぼくは自分の世界に帰ってきた、家具があり、絵画や書物がある世界へ。そしてこの世界では–ただときとして稀に詩の中で到達できるほかには–見えにくくなっていることがあるのだった。アメリカの女性詩人リタ・ダヴの言葉を借りるなら、それはこういうことだ。「生は環をなしている」(017頁)

「環」というより「螺旋」のほうがより適切かもしれないと思う*1。いずれにせよ、私は河原でル・クレジオとともに歌いたくなった。

ひとり河原で本を片手に訳の分からない歌を歌う爺。

帰路、何かの使いのような一羽のカモメに出会った。

藻南公園入り口の小公園内でひとり楽しそうにブランコを漕ぐ爺。

*1:追記。この「環」はリンク、ハイパーリンクなのかもしれない。