記憶と引用

歌の祭り

歌の祭り

メキシコの夢

旅は、心へと向かうものでなければ、...という言葉が浮かんで、それは確かル・クレジオの『歌の祭り』か『メキシコの夢』の中にあったはずだと思って頁を捲っていたが見つけられず(ちゃんと書き抜きしておかなければ)、別の言葉に目が留った。

異質な社会との接触はつねに複雑なものであり、その社会がぼくにしめしてくれるものは明示的ではなく、必ずしも言語を通過してくるものでもなかった。(『歌の祭り』004頁)

これは彼が「大都市の攻撃的な生き方を逃れ、まだ何とも知れない何かを探し求めていた」(同書同頁)頃、「内面の平和を見いだすことを許してくれるような何か、誰かに、出会うことを待ち望んでいた」(同書同頁)頃に、パナマのエンペラ族に出会ったときのことを回想して語った一節にある。

引用文中の「社会」は「個人」と置き換えてもいいだろう。そして同じ社会においてさえ、と敷衍することも許されるだろう。とりわけ現代社会においては、個人とのそんな複雑な接触、必ずしも言語を通過してくるとは限らない接触の複雑さに堪える、焦らずに待つことが必要なのだろうなと思った。それが、自分の(?)心にも出会う旅になるのだろう。