坂口恭平と宮本常一

先日、坂口恭平さん(1978年生まれ)の仕事をごく簡単に紹介した。

坂口さんの仕事を知って以来、とても明るい幸福な気分が持続している。「家」とはそもそも何か。「家」はどうあるべきか。「家」から始まり「家」に戻る生き生きとした思索と実践の旅は、まるで「旅の巨人」と異名をとった民俗学を刷新した民俗学者宮本常一の仕事を非常に本質的なところで彷彿とさせた。私のつたない経験に照らし合わせても、腑に落ちるところ、共感するところがたくさんあった。坂口恭平さんは「家」をめぐって深く広く哲学していると言ってもいい。

0円ハウス

0円ハウス

路上の家には創造性と現実性が同時に溢れかえっている。どれ1つとして同じもののない家々の横を歩きながら、私はいつもそのことを感じていた。住人自らが作った家というのもは、絶えず運動と変化を繰り返し、秩序とずれが同居している。輪郭は常にゆらゆらと揺れ、しかもそれが調和を生み出している。その姿は建築物という3次元の世界を軽く飛び越ていく。路上の家は、まさに人間の持っている柔軟で複雑な高次元の知覚そのものとなっていた。

 『0円ハウス』「あとがき」199頁

坂口さんが報告する東京、大阪、名古屋の路上の家と住人たちは、現代の大都会のど真ん中に「忘れられた日本人」が出現したかのような新鮮な衝撃を私にもたらしたのだった。

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

日本の村・海をひらいた人々 (ちくま文庫)
宮本常一  (ちくま日本文学 22)

宮本常一 (ちくま日本文学 22)

宮本常一の代表作を読み直しながら、坂口さんの中には宮本常一の精神が不思議な形で継承されていると感じた。今や都市生活を前提によりよくサバイブする道を模索しなければならないとしたら、そしてもし宮本常一が今の時代に生きていたら、坂口さんのように路上生活者のフィールドワークをするに違いないとも感じた。都市の辺境で底辺の生活を営む路上の家に住む人たちへの坂口さんの眼差しは、宮本常一が日本列島の津々浦々を旅しながら訪れた極貧の中で心豊かにたくましく生きる人々への暖かい眼差しに通じている。その眼差は、間違った未来を描いてしまった人類が忘れてしまった原始の豊かさが拓く普遍的な未来を見据えている。坂口さんの仕事が、欧米の先見の明のある人々だけでなく、アフリカで極貧の生活を強いられる人々の大きな共感も呼んでいることは、彼のヴィジョンが人類にとって普遍的なものであることの証でもあると思う。坂口さんは、「人間の持っている柔軟で複雑な高次元の知覚」の回復は、足元から身近なところから、いつからでも始められることを思いがけない方向から再認識させてくれた。