物語と人間の行方


『風の旅人』 38号 - FIND the ROOT 彼岸と此岸 - 時の肖像


姜信子「一引き引いたは、千僧供養」(83頁〜86頁)を読む。これは説教節小栗判官の物語をめぐって、この世の理不尽を超える何か、独りであって独りではないはずの人間と物語の希望、について語ったものである。


藤沢、遊行寺。その境内のなかの寺のひとつ、長生院小栗堂の「切り立った崖が暗く重く迫る裏庭」にある小栗判官と照手姫の墓を訪ねた姜信子さんは、説教節小栗判官の物語の変遷をその誕生の現場にまで遡りながら、「身も無残に崩れ落ちた餓鬼阿弥の、熊野までの道行き」に、「この世のさまざまな道の上で繰り広げられていた、さまざまな漂泊の生の記憶が織り込まれてい」ることを発見する。

 たとえば、かったい道の記憶。「かったい」とは、かつての日本で、癩者をさす言葉でした。そして、かったい道とは、この世から捨てられ、この世と交わることを拒絶された人々が死を迎えるまで歩き続けるという隠れ道、けもの道。この世の道にも裏表があり、見えるものの世界と見えぬものの世界が重なり合い、そのことを誰に教えられなくとも人々が感じて知っていた時代の話です。
 今の世ではすっかり忘れられてしまっている、この道の記憶が、餓鬼阿弥の熊野行きには潜んでいる。しかも放浪の語り手たちは、かったい道の旅人であるべき餓鬼阿弥を、閻魔大王のお墨付きありと、堂々と表通りに引き出して、その土車の曵き綱を名もなき衆生が次から次へと手にとって、餓鬼阿弥のよみがえりの物語を、えいさらえいと紡いでゆく。
 東寺、さんしや、四つの塚、鳥羽に、恋塚、秋の山、月の宿りは、なさねども、桂の川を、えいさらえいと、引き渡し、山崎、千軒、引き過ぎて、これほど狭き、この宿を、たれか、広瀬を、つけたよな。
 一引き引いたは、千僧供養、二引き引いたは、万僧供養、えいさらえい、ならば、私も、その土車、引いてみようか、ものに、狂うてみせようか……。長いこと気にかかっていながら、ようやく訪ねた遊行寺、長生院の小栗・照手の墓前でそう呟いてみつのは、けっして思いつきでも、酔狂でもありません。
 物語が紡がれた、そのはじめの場所に、立ってみる。
 放浪の語り部たちとともにこの世の裏の道を彷徨い漂い、人の世の闇を取り込み、人の心の暗がりを飲み込んで、そのたびに生まれかわってきた物語の行方を眺めやる。
 今では運ぶ者たちも消えうせて、彷徨う力すら失って、そこに投げ出されている物語の土車に寄り添ってみる。
 そうやって、今の世に、いまいちど、物語を運ぶ言葉、人間たちのなかへと物語を彷徨いださせる力を探りあてようと思案する。
 私は、隅々まできれいに照らす光に目が眩まぬよう、美しく隙なく整えられた言葉に捕まらぬよう、囲い込まれそうになったなら、すぐに身をかわして逃げ出せるよう、闇の通い道、暗がりの声をわが身のうちに大事に抱え込んでいたいのです。たとえそれがどんなに厄介なものであっても、その厄介さとは、つまりは、人間であること、生きるということのかけがえのない厄介さなのだと信じてもいるのです。(85頁)


こうして、闇から目を背け、生きる貪欲な力を失い、ひ弱になって久しい己を含めた人間共の不甲斐なさと忘れられた物語の行方を見守りながら、彼女は真に人間臭い生きる道と物語を求めて歩きつづける。何度でも生き直し、語り直しながら。

この先どこに向かうのやら定かではないけれど、とにかく歩いてゆく。(86頁)


参照


小栗判官と照手姫の絵馬」(印南町東光寺)