- 作者: 木村紀子
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大分以前に、木村紀子著『原始日本語のおもかげ』に依りながら、日本語の根幹をなす動詞「ナル」について触れたことがある。
印欧語が存在と所有を表す動詞を根幹とする言語だとすれば、日本語は存在と生成、とりわけ生成を表す動詞を根幹とする言語であるらしい。たしかに、「ナル」を使わなければ、まともに日本語で話したり書いたりすることはできなく「なる」。ほら、もうすでに、そうでしょう? …
最近、ある「きっちりとした子」が語ったというショート・ストーリーを読んで、そのことを思い出した。
おかあさん。
オラが天皇になることって絶対ありえんが?
ふ〜ん、でも0%じゃないかもしれんよ。
なにかが起こって、
次に天皇になる人がおらんくなったとするねか。
そうすると日本中で
『どこかにきっちりとした子供はいないのか?!』
ってことになってそれで
『ここにおります!』
ってことになってオラが登場することになるんね。
そしてとうとう天皇陛下になってしまうんぜ。、との御言葉を残して
きっちりとした子は、この体勢できっちりと眠ったのである。
その「きっちりとした子」は、無意識に「ナル」を駆使して、日本神話、天皇制の根幹に触れていた。木村紀子氏によれば、「ナルは、日本語を話したり書いたりすれば、半ば無意識のうちに頻繁に使っている、日本語の根幹を為す動詞の一つである」(64頁)ばかりでなく、「記紀の記す神話によれば、まさしく太初に、神とともにある言であった」(65頁)。しかも、「『なる』という語を使わないでは、記紀神話は、一歩も前には語り進められないと言っても過言ではないほど、重要な動詞であった」(68頁)という。ということは、その「きっちりとした子」はいみじくも「天皇になる」と口にすることによって太初の神とともに日本史の原点ともいうべきボールの上に眠ったと言っても過言ではないだろう。どんな夢を見たことやら。
なお、木村氏は「ナル」の章を次のように結んでいる。
もとより「ナル」とは、抗えず否定できないこの世の万象の現実である。死ねば、無に帰一するというよりも、「風にナッて」宇宙に遍満するという方が、多くの日本人には心安らぐ感覚だろう。何しろ、ふと気がつけば、柿の実がナッているように、ヒトもまたナル前のことは不明なまま、この世にナリ、この世でナリ続け、春には柿の実が無くナッているように、時が来れば、この世から無くナルものだからである(73頁〜74頁)
ナルほど。