白いお米の記憶に故郷が


生い立ちが違えば、同じ言葉に背負わされた意味も違ってくる。例えば、「故郷」とか「帰る」という言葉。「生まれながらに故郷を失っている」と感じているある人は、旅先でふと「そろそろ帰ろうかな」と思った矢先に、自分は一体どこに帰りたいのか分からなくなり、結局、帰りたい場所、帰るべき場所などないことに気づくという。他方、そもそも「帰る」という発想がないという人もいて、その人は、どこに帰ったらいいのか分からないから寂しいという気持ちを持ったことはないと言い切る。その人にとっての「故郷」は歴史の一部を共有する者同士が一瞬つながる記憶という不思議な場所であるらしい。例えば、その人は旅先で「白米」が食べたくなって入ったレストランでのつかの間の出会いについて次のように書いている。

油のしたたる揚げ物が並ぶファーストフードのバイキングです。ご飯がないはずはないのですが、なかなか見当たりません。隅の方に「寿司」と書かれた小さな一角があり、カニカマボコを巻いた海苔巻きがひっそりとならんでいました。海苔にくるまれて、おもちになりそうなくらいつぶれた冷たいご飯はおいしそうには見えませんでしたが、ご飯と言えばあとは脂ぎったチャーハンしか見当たらなかったので、仕方なく誰も見向きもしないその巻き寿司をいくつも容器に取っていると、レジに立っていた女性が近づいてきて、白米もある、と言って、大きな炊飯器の置いてあるところに連れて行ってくれました。彼女はなぜわたしが白米を捜していると分かったのでしょうか。
 一人で旅をしているのかと聞くので、そうだと答えると、もっとご飯をよそいなさい、と、まるで親戚のようにしきりと薦めるのです。彼女がアジアのどの国から来た移民だったのかは分かりません。向こうも、わたしがどこから来たのかとは聞きませんでした。ただ白いお米というものへの記憶、幻想のようなものを通して瞬間つながり、ここから遠く離れたところに、昔からパンでも芋でもなく、米を食べてきた人間たちの暮らす地方があるのだ、という気持ちを抱かせたのです。これは、状況の助けを借りて他人同士がある瞬間、共有する「故郷」ですが、ただの錯覚ではなく、歴史の産物です。(多和田葉子、2007年10月22日、除京植+多和田葉子『ソウル−ベルリン 玉突き書簡−境界線上の対話』岩波書店、2008年、159頁〜160頁)


どちらの喪失感がより深いかは分からない。