舞台裏

私の場合、(1)寝起きの台所の片隅でのコーヒータイム、(2)朝の風太郎との散歩中、(3)通勤時の運転中、そして(4)夜の風太郎との散歩中に色んなことが想起されたり、ひらめいたりすることが多く、それをちゃんと記録しはじめたのはごく最近のことだ。しかし根が怠惰な私は記録するための道具をちゃんと準備しておくことを忘れ、肝心の想起、ひらめきの内容を思い出せなくなってしまうことが多い。それでも(1)では小さなホワイトボード、(3)では小さなメモパッドになるべく記録するようにはしている。(2)ではデジタルカメラによる視覚的記録しかできていない。思考の記録ができていない。(4)では暗闇ということもあり、何もできていない。ただ、昼間の騒音が静寂に切り替わり、聴覚が研ぎすまされるからか、音の情報が洪水のように押し寄せる。地下水道から聴こえる音、自分の足音、呼吸音、等々。ここにはかなり考えるべきものが詰まっていると感じている。

今朝、コーヒータイム中にひらめいたことを中心に、今日の講義「情報デザイン論」の既存のレシピを大幅に変更することに決める。その内容はホワイトボードにはとても記録しきれないので、あわてて二階に駆け上がり、マックを起動し、結構気に入っている「スティッキーズ」という附箋ソフトに断片情報をメモしつつ、「Jedit」というテキストエディタに箇条書きをした。箇条書きにちょっと手を加えたのが下。これをベースに後は教室で学生の反応を感じながら、そこで生まれるものに賭ける。

この講義の目的は、私たちひとりひとりが他でもない情報デザイナーであることを自覚することにある。

自覚することさえできれば、世の中には多種多様な情報デザインが溢れ、今までの自分がいかにそれらの恩恵を受け、またある場合には束縛を蒙ってきたかが分かる。世の中を見る眼が変わり、よりよくより深く見えるようになり、そして自ら次々と情報をデザインしていく道さえ拓けてくる。人生がどんどん深まり充実していく。

ただし、その自覚すること自体が最も難しい。そのためにはどうしたらよいか。

自分の体験を大切に記録することを始めること。そしてその方法を工夫しながら、継続し、習慣にしてしまうこと。

それができれば、私たちは情報デザイナーの一歩を踏み出したことになる。情報デザイナーなどとあえて言う必要はない。世の中でジャンルを問わずよい仕事をしている人たちはみな情報デザイナーなのだから。ウィトゲンシュタインだって、哲学畑の情報デザイナーだと言ってよい。彼の記録の工夫はすさまじいものだったことを知っておいてよい(鬼界彰夫著『ウィトゲンシュタインはこう考えた』参照)。

(そして、その上で、それと並行して、)
1)狭義の生活を主体的、能動的観点から抜本的に見直す
時間 スケジュール 既存のスケジュールに自分だけのを重ね、組み入れる
空間 地図 既存の地図を活用する そこに自分だけのを重ね、組み入れる 自分だけのを作る

2)狭義の学習を主体的、能動的観点から抜本的に見直す
順序 既存のものを知り、自分だけのものを考える
程度 既存のものを知り、自分だけのものを考える
カテゴリー 既存のものを知り、自分だけのものを考える 組み替える
(各種既存の情報デザインの具体例は渡辺保司著『情報デザイン入門』他参照)

3)総合的に優先順位を判断する 限られた時間の割り振り方(これも基本的な情報デザインのひとつ)を検討する
全体験を組織化 記憶の創造 記憶の書き換え

(とりあえずの結論として、)
逃れ去る情報を留める形、器としてのデザイン

備考(『横浜逍遥亭』2006/10/23(月)「HASIGRAPHYとは何か」をめぐって)
体験の優れた記録=デザインの秘密
立ち止まり、意識の水面に映る魚影をつかまえるかのようにして、心の微細な動きをとらえ、言葉にしていく。
言葉を「開く」
言葉を書きながら、聞きながら、「開く」
そこに己の体験の一層深い未知の風景が展開し始める