灯台下暗し


わが隣人サド (1969年) (晶文選書)

マゾッホとサド (晶文社クラシックス)

マゾッホとサド (晶文社クラシックス)

なんて灯台下暗しなんだ! 私の人生は毎日それに気づくことの連続のような気がする。

でも、思わず目を逸らしそうになる自分の至らなさや弱気や不甲斐なさに、無理矢理目を向けさせて、生傷に塩を塗り込むような危険な作法が身に付いてしまったのはいつの頃だろうか。あなたって、マゾなのよ。

出会った人をサドにしてしまうのがマゾ。一見サドが主人のように見えるが、実はサドをサドたらしめる、サドをコントロールしているのはマゾであるという構造を説いてみせたのはクロソウスキーだったか、ドゥルーズだったか。

とにかく、私にはマゾっぽいところがあるのは確かである。そのお陰か、精神的な苦痛にはめっぽう強い。

ところが肉体的苦痛にはめっぽう弱い。正直なところ、例えば、目薬を差すのも怖いし、血液検査で血を抜かれるのにもいい歳をして恐怖を覚えるという不甲斐なさである。自分の血が注射器に溜まって行くのを直視できない。その弱みを握っている家族にはいつも馬鹿にされる。偉そうなことを言ってる割には、なによ、情けない人ね、と。

ちなみに、自分のことは思い切り棚に上げての話だが、私の脳内データベースには「灯台下暗し度」なる一覧があって、出会う人ごとの灯台下暗し度が記入してある。もちろんその評価は固定したものではなく、その人の努力によって変化する。また、偉そうなこと言って。スミマセン。