グーグルの「特異性」をコントロールする「意思」の正体は

本の電子化問題に端を発したグーグルの「大きな狙い」に関するbookscannerさんと私のやりとりに深い関心を寄せてくださった中山さんが、私の守備範囲を超える、産業、ビジネスの視点から、外堀を手堅く埋めるような考察を記してくださった。
2006/09/25 (月)[産業の姿][Web]Google, Untachable

グーグルは将来の競争相手に対抗するために意識的に掛け金をつり上げているという気はする。秀逸なコンピュータのアルゴリズムに基づくサービスで勝負するのと、コンピュータのアルゴリズムとそこに膨大な手作業を伴う時間コストを加えた結果完成するサービスとで勝負するのでは、参入障壁の大きさがべらぼうに違う。
アトムのビット化を巻き込むかたちでサービスを拡大していくことは、同社の理念を推し進めると同時に競争的立場をより強固にする。固定費を増大させれば、費用の埋没性が高まることを恐れる他社にとって参入リスクは高まる。ただ、この作戦があまりに過度に作用し、サービス提供に際して範囲の経済性も目に余るものになれば、つまりグーグルは公益事業と見なされてしまい、政府による規制の対象となってしまう。それは危険だ。この賢い企業は、こうしたトラップを避けるような巧妙な投資とサービス提供を上手に選びながら拡大していくのだろう。

おっしゃる通りだと思う。それにしても、中山さんも言及している梅田さんのヘビーな報告が示唆する最も深い意味が気にかかる。
2006-09-24[コラム] グーグルの特異性と強さ
いくら優秀とはいえ、基本的にエンジニア集団にすぎないグーグルが、産業の地殻変動を起こさんばかりの勢いをますます強めている理由は何なのだろうと改めて疑問に思う。梅田さんがいう組織としての「特異性」がその類い稀な「強さ」を生んでいるのだとしても、その「特異性」をコントロールする「意思」の正体は何なのか?徹底的なテクノロジー主義がもつ、私にはまだ見えない「力」があって、それがビジネス、経済にも直結する回路、道筋がグーグルのブレーンたちには、はっきりと見えているのだろうか。