衰弱と不滅:mmpolo vs. taknakayama

『mmpoloの日記』(id:mmpolo)が「衰弱」を語り、『横浜逍遥亭』(id:taknakayama)が一度ならず「不滅」を語る。かけ離れた文脈でまったくことなる対象について語っている両者が、まるでひとつの中心の周囲を旋回するかのように、衰弱の消息、不滅の消息を凝視し、肉体に音楽に耳を澄ましている。その中心は「死」である。完全なる忘却としての死。

「明るい日差しに溢れた波の上を帆に風を受けて軽やかにすすむようなアバドの演奏」(中山さん)はまるで衰弱と死を受け入れることによって獲得されたmmpoloさんの軽快さを指示し、「堅牢な建造物を建てるような、あるいは垂直の岸壁にロッククライミングを挑むような演奏」(中山さん)はまるで衰弱と死を拒絶して不滅な生の記念碑を打ち立てようとする美崎薫さんの実験=「魔術」を指示しているように感じられた。

いうまでもなく、現実のmmpoloさんは軽快なだけの御仁ではないし、現実の美崎薫さんはある意味で非常に軽やかである。とにかく、両者が見据える死の両面、それはとりもなおさず生の両面であるが、を共に味わうことが人生であると、取り急ぎメモしておこう。