権力と自由

若い二人のブロガーの一見かけ離れたように見える言葉がひっかかった。

個人の政治性をウェブとしてどう全体化し形成出来るのか、そんなテーマで考えていこうと思います。

なんやかんやで五年も日記を書き続けていると、今までも色んな人たちがウェブ上から姿を消していくのを見てきた。新しい日記が生まれ、古い日記が消えていき、みたいな、そんな様子を繰り返し見ていると、ふと、自分が今、目の前にしているこのモニターにうつる光景、モニターを前にキーボードを叩いているこの瞬間というのは、いっしゅんの幻なのではないか…、とか、さすがにそこまでは思わないけれど、でもま、この光景っていうのは、わりと儚くて、たよりないもんなんだろうなー、という感じはある。お互いに、がっしりと、その存在をつかめているわけではなく、肩と肩とがたまに触れ合うような感じ、或いは遠くからの目くばせ。五年後、2013年のぼくは、ウェブ上に存在しているのだろうか。平民新聞は更新されているのだろうか。

五年たってもこの世に存在しているという、そんな保証すらないぼくやあなたが、2013年に、もしもまだ、遠くから目くばせ出来ていたとするなら、それはとてもすてきな話だと思う。いまのところぼくはそういった、ある種の奇跡を信じてみたいという気持ちでいるんだけれど。

両者の言葉には、まだうまく説明できないが、共感できるある共通性を感じた。とりあえず、「権力と自由」とメモしておこう。