北方の白い微笑

森崎和江さんは何度も北海道を訪れて、その自然と風土に強く惹かれ、住みたいとも思ったが、結局、そうはしなかった。できなかった。四半世紀前に(1984年)、森崎和江さんは、快適な場所にはとどまることはできない屈折した思いと、北海道が好きな理由につ…

WINDING PATHS

気温が上がり、路面の雪の融けた山道を通って出勤する。気分がいい。 ‘Chatwin’という姓はもともと‘Chette-wynde’と言い、アングロサクソン語で“曲がりくねった道(the winding path)”を意味したことから、‘WINDING PATHS’と題されたチャトウィンの写真集。…

Let's get astray 2:黄昏時の海に面した公園のベンチ

室蘭民報2009年12月20日(日曜日) 冬のある日の黄昏(たそがれ)時、一匹の黒猫が校庭のど真ん中を横切っている。無人の校庭の身を隠す物の何もない対角線上を八方におのれの身体をさらしつくして横切っている。思わず「はぐれたのか」と呟いた「私」は、そ…

流れ者の系譜

森崎和江は自分が「流れ者の系譜」につながることを次のように「流れ者の言葉」でしみじみと語った。 けれどもこの世はたいそうひろくて、それは蛍の道のようだ。 わたしを呼ぶ声がしきりにする。まるで蝶の季節に、うすい羽根がくさむらでうごめくように、…

時代の巡り合わせ

asin:4794205759 1994年に出版された本書『日本の原像を求めて』について、『ブーヴィエの世界』(2007年6月、みすず書房、asin:462207298X)の「訳者あとがき」の中で、高橋啓氏は当時を振り返って次のように語っている。 訳者は今から十年以上前にニコラ・…

ニコラ・ブーヴィエが撮った昭和の日本

Nicolas Bouvier, Wall, 1956, Tokyo, Japan*1 Nicolas Bouvier, Femmes Aïnou, Hokkaïdo, Japon, 1964*2 Nicolas Bouvier, Wakkanaï, port et chantier naval, août 1965*3 宮本常一(1907–1981)が日本列島の津々浦々を歩く傍ら本格的に写真を撮り始めた昭…

サーカス小屋でアシカを調教する紫色の目をした娘

例えばの話。もし私がある土地を訪れ、そこで体験したことを書いた文章が、後年そこに暮らす人の目にとまり、え? これが私の暮らす土地のことか、という新鮮な驚きを与えると同時に、その人も知らない土地の意外な歴史や、忘れかけていた過去の暮らしの細部…

骨と貝殻

まさか、また「貝がらがついた骨」に出会うとは、、。 asin:462207298X 日本という島国をその波打ち際から眺め歩き続けたスイス生まれの旅人ニコラ・ブーヴィエ(Nicolas Bouvier, 1929–1998)は1965年に地元の少年たちに案内されて網走博物館を訪れた。ブー…

Shinjuku

詩と真実

沖家室島、「鯛の里」にて 富山、「ジェリコの戦い」にて 沖家室島の鯛の里で松本昭司さんによって灯された火に、南無さんが油を注いだ。ジェリコの戦いでは、「土佐源氏」を題材にして、ノンフィクションの語りの位相をめぐって、ああだこうだと南無さんと…

鳩と木の実

] 小雪降る富山の朝。県庁前公園を通りかかると、水たまりに鳩が五、六羽いた。木の実か何かをしきりに啄んでいた。 次の瞬間、黒光りする木の実が目に飛び込んできた。ツツジの仲間か。

沖家室島、鯛の里の庭

無造作に自転車が3台置かれた庭が好ましかった。アロエの赤い花が印象的だった。もっとも、松本昭司さんにとっては、島全体が「庭」のようなものだろう。もしかしたら、ニホンアワサンゴの群生が拡大している瀬戸内海も、、ね。

空撮

雲間から瀬戸内海と島嶼が見え始めた。夢中でシャッターを切り続けたが、まともな写真は撮れなかった。 川 港 橋 [ 道

光の橋

松本昭司さんの車で、沖家室島から沖家室大橋を渡り、周防大島に入って左折してしばらく走った後、沖家室島の全景が視界に入る。海上に光の橋が、、。左手に大橋も小さく見える。

沖家室島のジェフ・ベック

先日お世話になった沖家室島で民宿「鯛の里」を営む松本昭司さんがあの夜の顛末を松本さんらしいジェフ・ベックの演奏のようにいいノリで書いて下さった。感謝。 北の旅人(「鯛狸(=^・^=)の豆日記」2009年12月25日)

越中写真紀行

こしのみちのなかへ My Foolish Heart:pictorial travelogue of Toyama, 6:04

沖家室島が揺れた夜

松本昭司さんとお父さん(島で現役最高齢、八十六歳の漁師であり、かつ、最後の釣り鉤職人) 沖家室島に根を下ろして生きる松本昭司さんは私とほぼ同年代、彼の方が二歳年上、で高度経済成長と歩を合わせて成長してきた世代である。松本さんは都会でサラリー…

門司港

門司港駅。 他の写真はこちらのフォルダで(→ 門司港)。 周防大島、沖家室島へ向かう途中で門司港に寄り道した。ガイドブックは藤原新也『鉄輪』だった。 手にする列車の切符の行き先に、知らない町の名前が書いてある。 門司港の駅の改札口で母から切符を…

Hiroshima, mon amour

広島では、すでに書いたように、広島市郷土資料館を訪れる前後に、東郵便局裏、駅前市場近辺の開発から取り残された場所、平和記念資料館のある中島町、そして原爆ドームのある紙屋町を中心に、短い時間だったが、できるかぎり歩いた。写真下のリンク先のフ…

根の明るさ、根の暗さ

十年後の「大往生の島」を訪ねた私は一体何を期待し、何を見ようとしていたのだろうか。時間に追い立てられるように殺気ばしった表情で先を急いで小走りする人間の溢れる東京から一転して、正反対の、時間の流れが止まったような島にやってきた。松本昭司さ…

Kanagawa, Tokyo

サザンカ(山茶花, Sasanqua, Camellia sasanqua) シュロ(棕櫚, Chusan Palm, Trachycarpus fortunei) ウド(独活, Udo, Aralia cordata)か モウソウチク(孟宗竹, Moso bamboo, Phyllostachys heterocycla f. pubescens)

Hiroshima

沖家室島

港から鯛の里の前を通り、泊清寺の墓地につづく道。幾世代にもわたる数知れぬ島民が往復した道。美しい優しい道。 泊清寺の墓地に置かれた如雨露 八十八体順拝史跡物見山登口 かつての薬屋 「グリーン・ハウス」 キダチアロエ(Aloe, Aloe arborescens) 潰…

底、裏に触れる

社会の底、歴史の裏。心の底、心の裏。言葉の底、声の裏、根。視線の先、瞳の奥。そんな場所に強く惹かれる自分がいる。その人が生きて来た道筋。その幾筋もの軌跡や行き止まりや袋小路の景色に思いを馳せ、その音色に耳を澄ます。時に背筋に電気が走る。痺…

旅のあとさき

雪道 原生林のオオウバユリ(大姥百合, Giant lily, Cardiocrinum cordatum var.glehnii.) 苅谷さんの畑 三浦さんちのハナ 小坂さんちのボケ(木瓜, Flowering Quince, Chaenomeles speciosa)の実 大槻さんちのヤグルマギク(矢車菊, Cornflower, Centaure…

計り知れない重さと微かな鈍い光

今回の出張の合間に私はHASHI展、門司港、「広島、ヒロシマ、ひろしま」の他に三つの寄り道をした。大阪、富山、そして京都である。 旅の主要な目的を広島で果たし終えた私は新幹線で新大阪まで行った。浪速区の鴎町公園内にある折口信夫の墓参り(これが他…

通過者の自覚

かつて宮本常一が日本各地を歩きながら撮った10万枚の写真に度肝を抜かれた森山大道は、それら10万枚の写真は、誰もが目を奪われ時代を特徴づけるような「突出した出来事」には目もくれず、それらとは正反対の、いわばその裏側の「突出していない日本の場所…

アマゾンの「おばあさん」の寓話

asin:4198930724 旅人や研究者が辺境と呼ばれる土地や紛争地域や文明の圏外から持ち帰った写真や言葉は圧倒的に美しく、正しい。だが、それ故に、そうではない場所で生きるぼくらにとってはそれらは何の役にも立たない、そんな生活、そんな時代に戻ることな…

No-w-here, 2004–2005

Mammoth Lakes, California, May 28, 2004 Death Valley, California, May 31, 2004 San Francisco, California, June 1, 2004 Palo Alto, California, August 24, 2004 Palo Alto, California, September 6, 2004 San Francisco, California, October 1, 20…

白老町で

昨日、空きっ腹を抱えて、そうとは知らずにいきあたりばったりに立ち寄った「白老たまごの里マザーズ」内のレストラン「たまご館」で食べた「たまごかけごはん」が絶品だった。そこはもともと素朴な鶏卵直売所だったはずだが、見違える空間に様変わりしてい…