時の狭間7:イギリス海岸

函館を出発した白鳥号が木古内を過ぎて、いよいよ津軽海峡、青函トンネルに近づいたあたりで、通路を通り過ぎようとした車内販売のカートの後ろに置かれた小さなバスケットの中に「イギリス海岸」という素敵なネーミングの林檎入りのパウンドケーキを見つけ…

下北の風景

仏ヶ浦、佐井村 願掛岩近く、佐井村 大間崎、大間町 幻の大間鉄道鉄橋跡、下風呂温泉、風間浦村

青森市街地路地裏

青森市街地表通り

函館市街地歩行

函館市街地鳥瞰

時の狭間4:下北半島

三沢から普通列車で野辺地まで行き、野辺地で「快速しもきた」に乗り換えて大湊線を下北まで行った。窓を開けた。曇り空だったが寒くはなく、顔にまともに強い風を受けるのが気持ちよかった。何十年ぶりだろう。進行方向右側の席だったので、窓のすぐ外を民…

時の狭間5:青森挽歌

青森駅前からバスに乗って、20分くらいで、青森県立美術館についた。真っ白で柔らかいその建築の全体が目にしみた。まだ開館前だったが、「あおもり犬」の案内表示に誘われるように、すり鉢状に凹んだ土地につけられた階段を降りた。隣接する三内丸山遺跡へ…

時の狭間6:函館、Love is Blue、青森

青森での仕事を終えて、次の仕事の拠点である函館に向かった。青森駅から津軽線、津軽海峡線をスーパー白鳥19号に乗って函館までの所要時間は約2時間。函館駅前の市電乗り場から宿のある五稜郭公園前まで路面電車に揺られた。函館は雨だった。翌朝も小雨模…

散歩と旅

札幌に戻ると、秋祭りは終わり、藻岩神社の境内ではカラオケ大会のステージの解体作業が行われ、アパート群の解体作業は思ったほど進んではいなかったが、それでも三分の二の棟はすでに瓦礫の山と化していた。粉塵飛散防止用の覆いのあちらこちらに開いた穴…

青森土産

十和田の桜田酒店で買ったフランス産ハーフボトルのテーブルワイン。地下ワイン蔵で数年寝かされていた一本。店主が語っていた通り、ふくよかな香りと深い味わいの逸品だった。 大間崎の川畑商店で買った「大間まぐろ」手拭い、「魔除け、身代り鈴」の土鈴、…

時の狭間1

青森、函館での仕事を終えて、昨夜遅く札幌に戻った。留守中、id:Kakaさんはじめ、遠い谺のような心の奥に響き躰の芯にしみるメッセージを色んな仕方で届けてくださった方々に感謝します。ありがとう。仕事の前後に時間を作って、青森と函館を見て歩いた。特…

時の狭間2:十和田観光電鉄線

JR三沢駅を降りたら、Miss Veedlが出迎えてくれた(→ ミスビードル号物語)。十和田への接続はローカル線の十和田観光電鉄線である(→ 十和田観光電鉄)。かなりくたびれた駅舎といい、割れた窓ガラスをガムテープで補修した小さな駅長事務室といい、ロッカ…

時の狭間3:ワンダーランド

十和田駅から、小雨がぱらつく中を地図を頼りに急ぎ足で10分ほどかかって、十和田市現代美術館にたどり着いた。新しい街並の一角に、柵も塀も段差もないバリアフリーな敷地に曇り空に溶け込むような白いキューブが忽然と姿を現した。正面のガラスの壁面には…

完璧な生活や仕事

辺境へ、世界の果てへ (写真叢書) 小野寺誠によれば、「ここではない、どこかへ!」という旅の衝動を形づくる「問題」は自分の「内側」にあると同時に人生の「偶然」ないしは「巡り合わせ」のようなものである。したがって、 真の旅は楽しみであるよりも、そ…

旅の記録・記憶の旅3:ボロボロのモレスキンの手帳にガススタンドの領収書が挟まっていた

古いボロボロのモレスキンの手帳にインクの色褪せたガススタンドの領収書が挟まれていた。2005年3月17日にGILROY GASで、8.386ガロン給油して18.44ドルをクレジットカード払いした領収書だった。挟まっていたのはその日の日記の頁だった。その日の朝、無謀で…

堕落と風景の破壊

辺見庸による渾身のチェット・ベイカー論「甘美な極悪、愛なき神性」の中の言葉。 ああ、人はここまで堕ちることができるのか。にもかかわらず、いや、だからこそ、ここまで深くうたえるのか……。(辺見庸『美と破局』毎日新聞社、2009年、18頁、asin:4620318…

地平という無言のバイブル

たしかに、藤原新也が語るように、ぼくらは実は傾き歪んだ地平とは言えない浅はかな舞台の上で生きることを余儀なくされてきたようだ。 ぼくは、<旅>を続けた……多分に、愚かな旅であった。時に、それは滑稽な歩みですらあった。歩むごとに、ぼく自身とぼく…

墓参り

旅から帰ると、案の定、不運な出来事が起きた。室蘭入りした12日の夜から妻の母の家に二泊したのだが、最初の夜に、買ったばかりの気に入っていた帽子を外出先でなくしたのである。方々探しまわったが、結局見つからなかった。とほほ、、。 13日は、終日風雨…

旅の報告12:養老牛、裏摩周

左手に根室海峡を望みがら、羅臼から国後国道(国道335号線)を南下する。知床半島の付け根あたりで内陸に折れ、中標津町を横断して裏摩周へ向かう。途中、養老牛で「牛文字山」の麓を掠める。 根室海峡を望む 道道150号線 おお、禿げ山に「牛」の文字が! …

旅の報告13:青い池「神の子池」

裏摩周から、いよいよ待望の青い池「神の子池」に向かう。道道1115号線から砂利の林道に逸れてしばらく行くと、それは本当に青い水を湛えてそこにあった。ハナアブ(花虻, Hoverfly)の大群が池に近づく人間に集り、追い返さんとするかのようだった。神の子…

旅の報告14:幸運の借金

旅の三日目、知床から裏摩周まで道東を時計回りにぐるりと一周して網走に戻った頃には、西の空は夕焼けに染まりはじめていた。普段の行いの悪さにもかかわらず、この三日間は晴天続きだった。「これは奇蹟だ」と皮肉られた。幸運を借金しているようで怖かっ…

旅の報告8:鶴居村夢工房、摩周湖、小清水町原生花園

鶴居村夢工房にてシーフードカレーを食す。絶品。 弟子屈町の摩周湖に立ち寄る。 林のトンネルを抜けてオホーツク海に近づく。 小清水町の原生花園のハマナス。 国道244号線、小清水町。 やっとオホーツク海、網走市。 参照 鶴居村ウッディホテル&レストラ…

旅の報告9:網走郷土博物館でオホーツクのヴィーナスを見る

網走郷土博物館で、やっとあのオホーツクのヴィーナス(モヨロ貝塚のヴィーナス)を見ることができた。山口昌男が中学生の頃居候していたという赤いドームの展望室が目をひく網走郷土博物館の洋風建築はフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright, 1867–…

旅の報告10:青いビール「流氷DRAFT」

網走では十年以上ぶりに旧知の愉快なY夫妻の家を訪れ、二泊し、すっかり厄介になった。夜には青いビール「流氷DRAFT」で乾杯し、北海シマエビなどに舌鼓を打った。朝には白樺の木が立派に生長した英国風の野趣溢れる素敵な広い庭で採れたブルーベリーやラズ…

旅の報告11:知床峠越え

旅の三日目、レンタカーを借りてY夫妻の案内で知床峠を越え、裏摩周に向かった。途中、国道244号線沿いの「山崎菜園 じゃがいも苑」で焼きトウモロコシやじゃがスープやじゃがパンなどを衝動買いし車中で味わい、知床八景のひとつオシンコシンの滝で水しぶ…

旅の報告3:中札内村の蕎良(そばりょう)

中札内村の蕎良(そばりょう)。建物は旧農家住宅(浜野宅、大正末期築)を移築したもの。屋内の一部は当時の家具等の展示室になっている。スキンヘッドで掌が野球のグローブのように大きな店主が蕎麦を打つ様子を生で見ることができる。玄関の下駄箱の上で…

旅の報告4:中札内美術村

エゾチドリ(蝦夷千鳥, The Large Two Leafed Platanthera, Platanthera metabifolia) ツリガネニンジン(釣鐘人参, Bell-flower, Adenophora triphylla var. japonica) クサレダマ(草連玉, Yellow loosestrife, Lysimachia vulgaris var. davurica)。別…

旅の報告5:阿寒湖

中札内から一路阿寒に向かう。阿寒湖畔の宿では足湯が迎えてくれた。夜の露天風呂では静かな湖面に覆い被さる暗闇の奥に雄阿寒岳のシルエットがぼんやりと浮んでいるのが見えた。翌朝、朝風呂ですっきりしてから湖畔に出る。朝靄の残る湖面を三艘のカヤック…

旅の報告6:オンネトー

阿寒湖からオンネトーに向かう。五色沼という別名を持つ湖オンネトー。エメラルドグリーンの湖面が印象的だった。湖の向こうに雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)が並んで見えた。 参照 オンネトー - Wikipedia