2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

カリブを駆って竜がやってきた

一昨日の昼休みに卒業生の竜が訪ねてきた。会うのは二年以上ぶりだった。私がアメリカに発つとき、彼は卒業した。音信はほとんどなかったが、忘れた頃にやってくるメールからは元気にやっている様子が窺えた。懐かしいやら嬉しいやらで、午後からの専門演習…

世界の新カテゴリー

今朝の散歩で目にとまた物たちは、私固有のカテゴリー=タグでは、廃墟感、成熟、ゴースト、未熟だった。「ゴースト」という新カテゴリーが生まれた。それは以前から異様な感覚を覚えていた樹の姿だった。 ゴースト 廃墟 廃墟 成熟 成熟 成熟 成熟 未熟 未熟

検索とは何か

昨日からのコメント欄における検索(特に、画像の検索)に関する議論で噴出した論点を整理するために、まずは各氏の興味深い見解を引用しておきたい。美崎さんのコメント1 「記憶する住宅」には、「SmartCalendar」以外に、ハイパーテキスト群という強力な構…

忘れっぽい天使

先週は祭日でお休みだったので、今日は2週間ぶりの講義だった。その間に、東京にHASHI展を訪れ、美崎薫さんの「記憶する住宅」を訪問した。その時の深い体験をブログに書くことを通じて追体験を繰返し、また相変わらず毎朝写真を撮り続けて見えるものが増え…

写真を検索する必要はどこで生じるか?

今朝はちょっと急いで朝の定番の散歩コースを辿った。急ぎ足で20分くらい。それでも18枚写真を撮った。それらを見ながら、いつもここにアップする際にどんなタイトルを付けようか迷っていたことを思い出し、改めて写真を検索する必要性と検索に必要な「タグ…

本は風を起こす機械である

私が後悔していることの一つは、一昨年アメリカに発つ前に、大量の蔵書を手放してしまったことである。残ったのは各種の辞書、辞典と洋書だけだった。もちろん、スキャンもしなかった。その時美崎薫さんの研究を知っていれば、そんなことはしなかったかもし…

知ることの意味は何?

昨日講義を終えて研究室に戻り講義記録を書いていたら、ひとりの学生が訪ねてきた。相談があるという。一言では言えないその膨大な内容をその学生は言葉を選び選び慎重に慎重に言葉にした。「知ることにどんな意味があるのでしょうか」、「知らないほうが幸…

カメラは記憶を想起させる

今朝の散歩では、迂闊なことに、デジタルカメラの充電をし忘れていて、四回シャッターを切ったところでバッテリーが切れた。こういうときにけっこう記録しておきたいものが目に留まる。数日前からの雨と風のせいで、木々の葉がかなり落ちた。幹と枝が露にな…

いうまでもなく、検索とは想起のことである

中山さんのところ(『横浜逍遥亭』)で、美崎薫さんが大変興味深い自説を展開している。 Googleと美崎薫さんがやっていることを理解するためにも非常に貴重だと私が思うポイントに絞って、美崎さんの議論を少し整理し、今後に役立てたい。いうまでもなく、人…

生を賦活する死者との対話

今日で6回目の情報デザイン論は内容的にひとつのクライマックスを迎えた。まずこれまでやったことの総復習を行い、今いる場所を確認した。板書しながらかなり気合いを入れて解説した。1時間以上経っていた。 残りの時間では、まず以前から学生たちに見せた…

電柱と電線

今朝は小雨の中カメラを首からぶら下げウィンドブレーカーの中に忍ばせ散歩に出た。が、途中から雨が本格的に降り出したため、写真はあまり撮れなかった。それでも、目に留まったものの一部を11枚撮った。 冬囲いされて温かそうな不揃いな低木たち。 藻岩山…

遠島する愛1:奄美自由大学体験記17

記憶と時間に関する私の稚拙な探究は初め大きな半径の螺旋を描いていたようだったが、次第に半径は小さくなり、ついにある一点の周囲を高速に旋回し始めたようだ。奄美自由大学参加から1ヶ月が経った。名瀬の古書店「奄美庵」で迷わず買った『島尾敏雄非小…

雨の日

今朝は久しぶりの雨の中の散歩だった。カメラは持たなかった。濡れた落葉や葉の少なくなった木々が美しかった。出勤前に隣家の白樺を撮影しようとして、他にアングルの取りようがなく、シャッターを切ったら、手前の剪定された松の木が予想以上に強く被って…

死のデザイン:時間のデザイン2

明日の「情報デザイン論」では「時間のデザイン2」として、さらに根源的な視点を学びます。題して「死のデザイン」。講義のエッセンスになる文章を掲げておきます。つらつら考えておいてください。文中、「島尾ミホさん」が登場しますが、これは、私が「日…

何が「すべて」か:グーグル対美崎薫

美崎薫さんの「記憶する住宅」を一緒に訪問した中山さんが、眼を見張るクオリティの高さの大作「訪問記」を二度にわたって書かれた驚きが冷めやらぬ間に、今度は、私も注目していながら応答できずにいた同行したfuzzyさんによるビジネスに焦点を絞り込んだか…

同じ土俵

(これは11月2日の専門演習1の記録。その日は大浦信行監督『9.11-8.15日本心中』上映会前後の慌ただしさのなかで、書くことができなかった。)先週木曜日の専門演習1では、N君が風邪をぶり返し欠席したため、用意していたレシピは取りやめ、M君と1週間の…

電子化されない記憶

美崎薫邸「記憶する住宅」を訪問して驚いた、というか、深く共感したことのひとつは、案の定、美崎さんはデジタルオンリーの人ではなかったということだった。もちろん、美崎さんは並のデジタリアン(?)ではない。世界中を探して、美崎さんの他に、家一軒…

永遠の現在

以下の報告は、『横浜逍遥亭』中山さんによる秀逸な美崎薫邸「記憶する住宅」訪問記と併せて読んでいただければ、より真実味が増すと思います。2006/11/03 (金)『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(1/2) 2006/11/04 (土)『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪…

白熱する自由

アメリカ滞在後の沈鬱の1年間を経て、2006年を迎えてから、自分の中の何かが弾けて、わずか半年ばかりの間にブログ上での様々な出会いと思いも寄らない展開があって、そして奄美自由大学、HASHI[橋村奉臣]展、美崎薫邸(「記憶する住宅」)、大浦信行監督『…

中山さんの美崎邸「記憶する住宅」訪問記2

美崎邸「記憶する住宅」訪問記の後半、中山さんの筆は、美崎薫氏の生き様を深い所から遺憾なく捉えていて非常に読み応えがある。すぐれた現実的な描写を堪能する喜びに加えて、最後には超現実的な発見の瞬間に立ち会ったような驚きさえ覚えた。2006/11/04 (…

日常の神話化

2006年11月2日、大浦信行監督『9.11-8.15日本心中』上映会後の懇親会で、今福龍太さんと奄美自由大学談義に花が咲いたとき、自然と私の口をついて出たのは、日常生活を「神話」化する方法、という言葉だった。「歴史」ではなく、それに対抗する「時の形象」…

報道写真家・桑原史成

先月初め、中堅・ベテラン写真家に贈られる「さがみはら写真賞」を受賞した桑原史成さん(69歳)にかんする朝日新聞のコラム「ひと」を切り抜いたままずっと机の片隅に置いてあった。ときどき皺に刻まれた桑原さんのお顔が写った写真を眺めていた。今日にな…

中山さんの美崎薫邸「記憶する住宅」訪問記

『横浜逍遥亭』中山さんによる美崎薫邸「記憶する住宅」訪問記に舌を巻いた。驚いた。ほとんど同じ時間、同じ場所を私と共有していた中山さんは私が見ていなかっものをいっぱい見ていたのだった。面白すぎる。 2006/11/03 (金)『記憶する住宅』に美崎薫さん…

花道、ノスタルジア

見えるものが増えれば増えるほど強くなる感覚は、「世界を抱きしめたくなる」(美崎薫)ような感覚である。そこにはなぜかどこか、あのタルコフスキーの映画『ノスタルジア』に感じられるようなノスタルジーが漂う。下のような枯れて醜悪に見えるかもしれな…

がんばる植物たち:廃墟感の裏側

すでに書いたように、廃墟感の裏には自然力感、生命力感にたいする人間の無力感、無常観が控えている。人工物が湛える虚しさはそこに由来する。私が「日常の小さな廃墟」と名付けたスポット、ゾーン、ごくささやかな時空は、裏返して言うなら、驚くべき自然…

映画の時間:『9.11-8.15日本心中』を観て3

昨日お会いした大浦信行監督の映画観は私の世界観とぴったり一致していて驚いた。大浦さんは人類は昔から映画を見てきたのだと言い切った。映画生誕100年とか150年と言われるのは技術の歴史でしかなく、映画の歴史は人類誕生とともにあるのだと。うつむき加…

人間橋村奉臣:HASHI[橋村奉臣]展を訪れて10

私は橋村奉臣その人に会って、自分を本当に大切にすることが実は最も大変な闘いであることを痛感し、再認識した。それは他人の中だけなく、己の中の偏見や常識や知識とも闘いながら、ちっぽけな種のような自分のオリジナリティを必死に育てることだからだ。…

日常の小さな廃墟たち:『9.11-8.15日本心中』を観て2

2001年9月11日の平和を象徴する快晴の空を背景に繁栄を象徴するツインタワーが崩壊していく未曾有の映像をトリガー(引き金)にして、1945年8月15日の同じように快晴の空を背景に平和と繁栄の道を邁進し始め、今日まで続く日本の戦後史の歪みをその根源から…

無惨な姿の白樺を見た日、『9.11-8.15日本心中』を観た

今朝の散歩では、コンビニで買い物があったために、いつものコースを途中から外れた。とはいえ、初めての道ではない。何度も通ったことのある道である。しかし、かつてなら目に留まらなかったものが目に留まったり、なぜか空の色が変色して写っていたり、謎…

HASHIGRAPHYの謎:HASHI[橋村奉臣]展を訪れて9

私の手帳の記録では、『未来の原風景』のHASHIGRAPHY作品の元になった写真の大半は、1987年に撮影されたものである。四つの暗い部屋のようなブースを仮にA、B、C、Dと名付けると、C(15)、D(14)の写真はすべて1987年撮影のもの。A(15)では1989年が二点…