2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

写真の倫理とブログの美学:『横浜逍遥亭』の場合

『横浜逍遥亭』の中山さんが記事に必ずそっと添えるように掲載なさっている写真をいつも感心して見ていた私は、写真の「意味」を知ろうとして、『横浜逍遥亭』の中山さんに要らぬ催促をしてしまった。私はついつい写真の「向こう側」の意味や背景などを知ろ…

魂の場処

世界は私の世界である(5.62) 私は私の世界である。(5.63) 独我論を徹底すると純粋な実在論と一致する(5.64) 論理空間という全可能世界の大海に浮かぶ島のような私の世界。私が経験した全事実から成る世界。その中には思考し表象する主体としての「私」は「存…

根をつくる、故郷をつくる

ひとりの学生が研究室を訪ねてきた。出し抜けに「彼」は言った。「先生がやろうとしていること、僕らも鼓舞しようとしてやっていることは、根をつくること、故郷をつくるってことですよね。」私はぎょっとして、聞き返した。「ど、どうして、そう思ったの?…

人生をトータルに大切にする/己の「根」をつかむ

午後からの専門演習2は、以前書いたように、A君とのサシの勝負の時間。先週はやっぱり風邪でダウンした彼とは私がアマミに行く前に会ってから、2週間ぶりの顔合わせ。まず、彼のこの2週間の「成果」を聞き出してから、私は私の四日間のアマミ体験の「成果…

1週間で人生を変える

早朝、日課の風太郎との散歩中、山ブドウの熟した実や、名前を知らない木の実が眼に入った。北へ向かう定番のコースの前方には、朝日を浴びた藻岩山が微笑んでいるように見えた。と、ぽこっと、音を立てて、何かが頭だけ飛び出したような気がした。その頭を…

映画はいうまでもなくスライドショーだった

2006-10-15 のエントリー「珊瑚と宝貝、島尾敏雄さんの眼:奄美自由大学体験記9」でふれた島尾敏雄さんによる尋常ならざる映画批評「フェリーニのおののき」について、「書き切れていない」という思いがあった。何が書き切れていなかったかがやっと分かった…

未だ見ぬHASHI展への思い

ウィトゲンシュタインのいう「論理空間」。現実に成り立ちうるすべての可能性の空間。それは必然の相において世界を見る眼に映るであろう空間。そこには「偶然」はありえない。すべては必然。ただし、何がいつ起る、成立するかは、別問題だ。やはりそこに「…

模型飛行機とオニーサン:奄美自由大学体験記15

奄美大島は、島尾敏雄さんの観察を私なりに敷衍して言えば、自然の「廃墟」の上に営まれる生活を構成する多層な時間の流れがいわば瞬間冷凍されたかのような、太古からの異質な幾つかの時間がまるで地層のように折り重なって「見える」ような、そんな類い稀…

寄物(よりもの):奄美自由大学体験記14

少しずつ奄美の精霊のパーワーが落ちて来ているような気がする。日本の邪気に圧され気味だ。いけない、いけない。ここが踏ん張りどころ。記憶を想起することは本当に難しい。島尾敏雄さんは半世紀前に「毒素」という強烈な言葉で表現したけれど、現在も、い…

サトウキビの葉のそよぎ:奄美自由大学体験記13

アマミから戻ってからの私のかなり内向的な姿勢を評して『横浜逍遥亭』の中山さんが、あるやりとりの中で、「常ならぬ神経のそよぎ」という言葉を使われていて驚いた。最近、なぜか「驚く」ことが多いのだが、その中でも一番と言っていいくらいに驚いた。と…

Life Design

前回の講義では上映を控えた「自画像スライドショー」について、学生たちに再度趣旨(他人の自己批評の仕方を相互に知ることを通して、自己批評をさらに一段深めることになる)を説明したところ、全員の了解が得られたので、上映した。他人の自画像を見るこ…

一本の木:奄美自由大学体験記11

アマミからサッポロに帰ってきてから1週間が経つ。私はアマミで体験したことをサッポロでの生活と意識の底に植え付けようとしている自分に気づく。アメリカで自問自答を繰り返した、自分の「根」のありようを確かめようとするかのように、あるいは、枯れ木…

日本と世界を「裏返す」:奄美自由大学体験記12

アマミからの帰りの飛行機の中でも私は窓越しにデジタルカメラのシャッターを切り続けていた。雲海は壮大な雲の峰をなし、時に断崖絶壁をなし、少しずつ見事な茜色に、それから次第に血の色に染まり、そしてついに暗闇の中に消えた。暗闇の微妙な変化を撮り…

死者の時間:奄美自由大学体験記10

私はまだ軽率に「日本」と書いてしまいがちだが、そもそも奄美自由大学に参加したいと願ってきたのは、「日本」という単一で平板なイメージに亀裂が走り、底が割れるような揺れの震源地が奄美群島にあると予感していたからだった。わずか4日間の滞在ではあ…

グーグルランドと奄美の精霊が示唆する時間

ウェブサイトやウェブログをある程度本気でやると分かる一つのことは、これは独りで書き手、編集者、デザイナー、エンジニア、経営者をこなすような前代未聞のメディアであるということだ。それに気づかず、旧来の一メディアの焼き直しに終始するか。怖じ気…

珊瑚と宝貝、島尾敏雄さんの眼:奄美自由大学体験記9

笠利(かさり)や国直(くになお)の浜に打ち寄せられた珊瑚の死骸や宝貝を拾って、小さなビニール袋に大切に仕舞って、札幌に持ち帰った。珊瑚の死骸は見ようによってはグロテクスな、殆ど人骨の一部のようでもある。家族は気持ち悪がっている。二週間前の…

HASHIさんのインターネットへの信頼

HASHI[橋村奉臣]展公式サイトに「ブログ記事紹介」ページが存在すること自体に私は新鮮な驚きを感じていた。私は橋村さんのウェブサイトやウェブログ等のインターネット上のコミュニケーションに対する度量の大きな信頼を感じた。それは梅田さんがいうところ…

ブログの可能性:"pure"ということ

ブログが縁で、『横浜逍遥亭』の中山さんと知り合い、HASHIこと橋村奉臣さんとも知り合うことができ、今月末私は東京都写真美術館を訪ねることになった。すでに触れたことだが、中山さんが橋村さんを称して使った言葉、英語の"pure"が、ずっと私の心の中で、…

若い詩人からの応答:奄美自由大学体験記8(+美崎さんの「時間はない」説)

奄美自由大学で久しぶりに再会した若き詩人、現在札幌で古書店「書肆吉成(しょしよしなり)」を開店準備中の吉成秀夫君から、嬉しいトラックバックがあった。それは私の奄美自由大学体験記に対する、とても深い、遠い谺のような応答で、無意識を強烈に鋭く…

沖縄の詩人たちとの出会い:奄美自由大学体験記7

具体的な人との出会いをこのようなブログに書くことは難しい。単純なプライバシーの問題だけではなく、ネット特有の「負の側面」をあらかじめ十分考慮しておかなければならないこともさることながら、そもそも出会い自体が、本質的に容易に流通するような言…

これも奄美自由大学効果?

奄美大島での四日間は、一昨年の一年間のアメリカ生活に匹敵すると思い始めている。と同時にちゃんと整理できていないアメリカ体験を本格的に追体験する準備が、二年たってようやく整いつつあるような気がし始めている。不思議なことだ。グーグルがインター…

HASHI[橋村奉臣]展に行くことに決めた

10月28日(土曜日)と10月29日(日曜日)の両日、東京都写真美術館で開催中のHASHI[橋村奉臣]展に行くことにした。29日が最終日だから、なんとか間に合った格好である。『横浜逍遥亭』の中山さんとのやりとりをご覧になった橋村さんご本人から、身に余る光栄…

モノが多重に見える:奄美自由大学体験記6

前々エントリー「記憶とは観察力である:奄美自由大学体験記4」への美崎さんのコメントにはちゃんと応答しなければ、と感じたいくつかの論点があった。そのうちの一つは、実際に「モノが多重に見える」経験と、記録ツールのサポートによって実現される「脳…

房飾りのような笑い声:奄美自由大学体験記5(+言語哲学入門3)

すべては私の、そして結局は非人称の、意識への現れにすぎないとみなす薄っぺらな独我論(世界観)ではなく、決して消去できない「私」の経験に定位した、ウィトゲンシュタインの、いわば「存在論的独我論」(野矢茂樹さんの命名)を学生たちに解説しながら…

記憶とは観察力である:奄美自由大学体験記4

美崎薫さんが「奄美の精霊の悪戯:奄美自由大学体験記1」にコメントしてくださったように、体験の内容をできるだけあるがままにしっかりと記憶にとどめる(いつでも呼び出せるようにしておく)ことは、自分が生きる世界を豊かにする正しい方法である。その…

奄美への道連れ:奄美自由大学体験記2

奄美自由大学には、迷った挙げ句、次のものを道連れにした。アーキペラゴ―群島としての世界へ作者: 今福竜太,吉増剛造出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2006/06/29メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (20件) を見る機―ともに震え…

巡礼、音と狂気:奄美自由大学体験記3

奄美自由大学には不動産としての建物や設備はない。したがって「教室」もない。逆に言えば、いつでもどこでもが「教室」になりうるし、だれもが先生にも生徒にもなりうる。そんなある意味で極めて厳しい「自由」を標榜する「大学」にふさわしい「教室」は「…

奄美の精霊の悪戯:奄美自由大学体験記1

昨夜遅く、常春、常夏の奄美大島から戻った。奄美自由大学初参加は容易には言葉にできない幾つもの脈絡が複雑に折り重なったような深く大きな体験だった。一日たった今でも意識の全体がゆったりと大きく揺れ動いているような、ちょっと船酔いにも似た感覚が…

グーグルの狙いはまだ見えていなかった

明日から三泊四日で奄美群島に行ってきます。(大学はちょうど大学祭で授業はなし。学生たちが飲めや歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎをしている間に私は好き好んで異界の探究に出かけてきます。)今福龍太さんが主催する「奄美自由大学」に参加するためです。…

中山さんのHASHI論:"pure"の正体

『横浜逍遥亭』の中山さんが、予告通り、予想通り、HASHIさんの"pure"をめぐって、しなやかで、暖かみのある、素晴らしい文章を書いている。二日間の葬儀で涸れた心に、中山さんの文章が、清水のごとく染み込んで来るように感じられた。2006/10/03 (火)「純…